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2024.04.20 - 
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戦国終わらず・19

2011.03.28 - 戦国終わらず
震災と関係がある、というわけではないですが、ちょっと奥州のあたりも整理してみたいと思います。
これまでの話          10 11 12 13 14 15 16 17 18

若狭。後瀬山城。
大坂・夏の陣が終わった後、常高院はひと時の平穏を過ごしていた。
無論、その平穏は完全な平穏ではない。多くの戦死者が出たし、何より彼女の妹お江与の夫徳川秀忠が戦死するという痛ましい結末を迎えている。とはいえ、彼女にとっては姉の淀の方が自害するのではないかとも予測していただけに、結果として二人共無事で尚且つ膠着状態を迎えそうなことは悪いことではないという意識でいた。
こう着状態になり、また、幾つかの勢力が徳川・豊臣との距離を置き始めた中、彼女の日課は、頻繁に届けられる姉妹の手紙を読むことであった。
どちらも性格が強いので、手紙も全く容赦がない。とはいえ、お互いに敵方にいるもう一方について聞いてきたり、探るような内容はない。おそらく姉も妹も敵方にいるそれぞれの立場については理解し、尊重しているのであろう。
「……」
「義母上、いかがなされました?」
「左少将殿…」
唐突に入ってきた京極忠高(常高院の夫・高次の息子だが常高院の子ではない)の姿に、常高院は目を見開いた。23歳の京極家当主は日頃は慎み深く、勝手に義母の部屋近くまで入ってくることがないからである。
「叔母上様について、少し気になる話を受けました」
「お江与の?」
叔母というが、忠高の正室の初は徳川秀忠とお江与の娘であるから、実質的にはこれまた義理の母であるといっていい。
「はい。少し前より佐竹家に近づいていたのですが、この度、佐竹を再び水戸に戻すのではないかという話が出てきているようです」
「ほう…」
「当然、そのような話を向けられると伊達政宗は反対するはずです」
わざわざ言われなくても分かることである。
「奥州の方でも動きがあるかもしれません」
「将軍派、そして伊達派で、か…」
「某はもうしばらく調べてみたいと思います」
「任せましたよ」
「はい」
忠高は一礼して下がっていった。
「…忠高殿の下にも情報が届いていた、ということか」
常高院はぽつりとつぶやいて、書状を開く。それは妹・お江与の書状であった。
その中にはまさに、佐竹右京太夫義宣を水戸54万石に戻し、伊達との間の防波堤にしようというような意向が記されてあった。
館林に立花宗茂を置き、常陸に佐竹を置くとなると、仮に伊達と松平忠輝が南下する途上に防波堤ができる。もちろん置かれる方の立場もあるが、佐竹家は関ヶ原の後常陸から秋田へ減封されたのであるから、常陸に戻るということは凱旋のようなものである。当然大喜びするであろう。逆に佐竹と仲がしっくりいかない伊達政宗にとっては面白いはずがない。
(上様の命令ということならば、伊達殿も強くは反対はすまい。しかし、逆に秋田に伊達派の大名、おそらく真田幸村をおしつけるとなると…)
一部で譲歩をした場合、当然別のところでは相手の譲歩を求めるはずである。伊達政宗もその例には漏れるはずがない。佐竹が水戸に戻るのであれば、今までいた秋田には自分と仲のいい大名を据えようとするはずである。
仙台と秋田を押さえれば、奥州に大きなにらみを利かせることができる。
(その場合、奥州全土がどうなるかは盛岡と山形の動向次第であるか…)
盛岡の南部利直は徳川宗家とも伊達家とも関係が深いということはない。しかし、元々自領であった津軽に独立されていることから津軽が大嫌いという点だけははっきりしている。伊達と真田が津軽を封じ込めようとすれば、そこに加担する可能性はある。
(最上家親は大御所様の偏偉を受けているから、親徳川であることは間違いないだろうが、その能力が未知数だ…)
山形57万石を治める最上家親は前年死去した最上義光の次男である。義康という嫡男がいた関係で、徳川家康に近侍していたが、家康はこの次男をいたく気に入り、最上義光に対しても介入していたという噂を聞いている。それが影響しているのかどうかは定かではないが、嫡男義康は廃嫡させられ、流される途上で暗殺されている。義光存命中はそれが大きな問題となることはなかったが、領内にはこの廃嫡の影響が強く残っていると言われており、能力として未知数の最上家親には不安が残る。
(とはいえ、考えていても詮無きことだ。阿茶殿と連絡を取りあい、調べてみるとしよう)
常高院は溜息をついた。
(今宵もまた、一晩硯と向き合うことになりそうだ)



次は山形の動向と、久々政宗あたり?
淀殿とお江与が微妙な分(NHKに喧嘩売ってる?)、真ん中が頭良さげな印象は前からありますが、今回のはちょっと頭よすぎかなぁと思ったりします(笑)。

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戦国終わらず・18

2011.01.18 - 戦国終わらず
そういえば、過去の話を全部読み返していないのでまだ確認してないのですが、元号で元和が出ていたら、それは大嘘です。豊臣家が滅亡したので慶長から元和に変わったので。
1615年はこの話の中では慶長20年のままということになります。

これまでの話          10 11 12 13 14 15 16 17


大坂。
豊臣家から各国の大名に再普請への要請が出されて2ヶ月ほど。
現時点ではまだ城の普請には至っていない。主に戦場となった街などの再建が進められていた。
「これでいかがでございますか?」
そんな中で藤堂高虎が津から参じてきた。新しい大坂城の縄張り図を完成させて、豊臣秀頼の下に持ち込んできたのである。
「ほほう。これが新しい大坂の城か。うーむ…ふむ、ふむ」
図面を見せられた秀頼は何やら相槌を打っている。が、実際のところはよく分かっていない。戦場の経験もほとんどないので、それぞれの施設の意味がよく分かっていない。用途が分からないのだから、城の構えがどの程度の防御力をもつのかというのも分からない。分かることといえばせいぜい前の堀の位置と新しく作られる堀の位置の違いくらいである。
「大体こんなものでよいかと思うが、大野らとも相談するゆえ、しばらく待ってくれ」
そう言って、一旦高虎を下がらせる。高虎は殊勝に「ははーっ」と平伏していそいそと出て行った。
足音が遠くなったのを確認して、秀頼は母親に尋ねる。
「母上、これでよろしいのでしょうか?」
見せられた母親の対応。
「う~む、これでは前の大坂の城と大きさがほとんど変わりませぬ。せっかく秀頼様のために再普請するのですから、以前よりも、より大きなものを造るように命ずべきではございませんか?」
こちらは城の中身よりもスケールのみを問題としていた。
しばらくすると大野兄弟が現れる。
「おお、治長、治房。藤堂がこのような縄張り図をもってきたが、確認してくれぬか?」
「ははっ」
2人も丁寧に縄張り図を確認する。が、この二人もどうもピンと来ていないらしい。
「うーむ、色々拝見させていただきましたが、某にはどうもよく分かりませぬ」
主君親子よりマシなところは変な見栄を張らない程度であった。

4人が雁首揃えて、縄張り図に対して思案に暮れること一日。
そこに宇喜多秀家が挨拶に現れた。
「おお、明石にでも聞けばよいではないか」
大野治長が来訪を聞いて思わず手を打つ。外面はどうあれ、秀頼も淀の方も中身について自信がないので。
「確かに明石は戦上手であるな」
「明石殿の意見も参考として聞き入れるのはよろしいことでしょう」
とあっさりと賛成した。

程無く宇喜多秀家が明石全登とともに天守に現れた。
「お久しゅうございます…。ご立派になられまして」
宇喜多秀家が涙ぐみながら深々と一礼する。
「中将殿は随分と苦労されてきたのだのう…」
二人が最後に会った時、秀頼はまだ7つの子供であり、秀家は貴公子として有名であった。
しかし、今や秀頼は当主として呼ぶにふさわしい大柄な青年に育ち、一方の秀家は長い流罪先での生活で線が明らかに細くなり個、表情も達観した僧侶のようなものに変わっていた。
「亡き父の豊臣家の屋台骨は中将殿じゃ。これから大変になるだろうが、よろしく頼むぞ」
「ははっ」
「それでいきなりなのじゃが」
「?」
秀頼は早速藤堂高虎の持ってきた縄張り図を示す。
「これは藤堂が持ってきたものじゃ」
「…大坂城の新しい縄張り図でございますな」
「うむ。大体そんなものでいいような気もするが、せっかく中将殿が来てくれたのであるから意見を聞いておきたいと思ってな」
「某は長いこと戦場から離れておりましたゆえ、最近の戦のことはとんと分かりませぬ。こういうことは明石に見せた方がよいのではないかと思いますが」
「そうか。それでもよい」
秀頼は頷く。秀頼だけでなく、淀の方も大野兄弟も「そうしてくれ」といわんばかりに頷いている。
「どう思う? 掃部」
秀家に促され、全登が縄張り図をしげしげと眺める。5人がその様子をじっと眺めている。
「某にはこれでほぼ問題ないように思います。堀を埋められる前の大坂城とほぼ同じくらいの力が見込めるでありましょう」
「おお、そうか。貴殿にそう言ってもらえると安心した」
最後ちらりと本音が口に出た。

その後、大和国の資料などを渡され、雑談などをして時間が流れる。
夕刻になろうという頃、秀家は全登とともに大坂城を後にした。
「のう、掃部」
戻りがてら、秀家が声をかける。
「先ほどの縄張り図だが、本当にあれで問題ないのか?」
「…と申されますと?」
「何というか、具体的にこう、というのがあるわけではないのだが、どうもあの縄張り図だと不安なような気がするのじゃが」
「そうでございましょうか?」
「いや、お主の戦の力量はよく知っておるゆえ、お主の目を疑うつもりはないが、ただ、何というか」
「さすが殿。ご慧眼感服つかまつりました」
「…む?」
「確かにあの縄張りだといざ実際戦になった時に不便な部分はございます。と言いますのも、あの縄張りですと見かけの防御力は非常に高いのですが、籠城した際に兵の移動に苦労するような出来になってございます。優れた将才…例えば藤堂殿であれば何の問題もないかと思いますが、秀頼公や大野兄弟では手に余るものでございましょう。また、大坂の陣のように幾つもの部隊の手勢が部署を掛け持ちする場合、連携を欠くと防衛力が非常に弱まるものと思われます。城主のことを考えれば、もう少し簡単な作りでもよかったのではないかと存じます」
「…それなら何故言わなかったのだ?」
「…私は大坂に入る際、秀頼公に2つのことを約束いたしました。そのうちの1つは果たされましたが、もう1つの約束は果たされぬままでございます。それがない以上、某が秀頼様のためにあれこれ身を尽くす義理はございませぬ」
「……分かった。切支丹の件、後日秀頼公と掛け合ってみよう」
秀家の言葉に、全登は無言のまま深々と頭を下げた。

3日後。
要請を受けて大坂城の天守にやってきた藤堂高虎に秀頼が声をかける。
「皆で色々確認した結果、この縄張り図で問題ないとのことであった」
「ははっ。それでは直ちに」
「あ、いや。しかし母上から一点だけ要請があってな」
高虎の視線が一瞬だけ険しくなった。ただ、すぐに表情を取り戻したので、あからさまに違和感を感じた者はその場にはいない。
「…何でございましょう?」
「このままの縄張り図だと、父上が築いた城と同じ大きさになってしまうが、それは母上にとっては気に入らぬことのようでな。できれば、もう一里ほど拡張した縄張り図を作ってもらいたい。それが出来れば、直ちに取りかかってくれ」
「はぁ……。あ、承知いたしました」

戦国終わらず・17

2010.12.14 - 戦国終わらず
あらすじ:大坂夏の陣で、徳川家康が真田幸村らに討ち取られた。さあどうなるの? ということで。
遅々として進まないながらも、17回目。
これまでの話
          10 11 12 13 14 15 16

前田家の援助を受けた金森重近が飛騨国を占拠したという情報は程無く、北の庄の松平忠昌のところにも伝えられた。
「…前田は越前を狙っていたわけではなかったのか」
ひとまず進攻を受けることはなくなったという点では安堵する忠昌であったが、だから安心していられるわけどもない。
「とはいえ、前田が飛騨を実質所有することになったということは、必ずしも望ましいものではない。それに勢いに乗じて攻めてくる可能性もないとは言えぬ。どうしたものか…」
忠昌は立花直次の顔を見た。当主忠直も、立花宗茂もいない以上、一番頼りになるのはこの男である。
「兄上はひとまず前田が攻めてくることはないと申しておりました」
「何ゆえ?」
「前田にも前田の立場があるからということでございます」
「とはいえ、手をこまねいていいわけでもなかろう」
忠昌は何もしていないわけではない。領内の防備を固めて、人材も探し求めている。彼の年齢(18歳)を考えてみればこれだけをしていれば合格点を与えてもよい。
とはいえ、それなりにこなしているからこそ、「まだ足りない、できることがあるのではないか」という疑問が忠昌には浮かんでくるのである。
「兄上は、できうることなら尾張の徳川義直様と連絡を通じてほしいと申しておりました」
直次の言葉に、忠昌の表情が険しくなる。
「…それはまあ、尾張から牽制してもらえば、それはそれでいいのやもしれぬが」
「問題があるのでございますか?」
「某はそうでもないが、むしろ兄上の方が義直を嫌っているのではないかと」
尾張藩は60万石を超える大藩である。その当主を、忠昌は呼び捨てにした。
その当主・徳川義直は家康の9男である。年は忠直、忠昌より更に年下であるが二人にとっては叔父にあたる。
しかし、この年下の叔父に二人は好感を抱いていない。
理由はそれぞれ多少違う。まず、忠直にとっては徳川と名前のつく全員が嫌いであるから、当然徳川義直もその一人にあたるものとして好きになれない。
忠昌の場合はもう少し単純であった。年下のくせに性格が生意気だということで好きになれないのである。
徳川義直は家康の息子であるし、高齢の子供ということで可愛がられたことからプライドはかなり高い。そのため、松平姓の甥に対して、彼は明らかに格下を見る ような目で見ているのである。これがそれなりに歳を重ねると遠慮や配慮も出てくるのであるが、互いに若いからそういう隠し事をできることはない。なまじ将 軍家と近い身内同士であるだけに反発も強くなる。
「それはそうかもしれませぬが、お家の一大事となればそうも言ってられませぬぞ」
「…民部少輔殿は当面の間、前田は越前には来ないと言っていたではないか」
忠昌は先ほどの直次の言葉を指摘する。
「…まあ、現時点では左様にございますが、そのうちそうなるかもしれませぬので」
「そのあたりは、某よりむしろ兄上に指摘していただかないと」
自分が嫌いという感情を、兄に押し付ける忠昌であった。


近江・彦根でも毛利勝永が飛騨の顛末の報告を受けていた。型どおりの対応だけ済ませると、勝永は佐和山に作った庵へと向かう。
「まずは飛騨を掌中におさめたようで上々でござるな」
老人の第一声。
「前田は次にどうすると思います?」
「…越前に攻め入るというのが当面の目標になるであろうが、ひとまずは大坂に播磨攻めを早急に行うよう要請してくるであろう」
「その真意は?」
「前田もまだ徳川と全面的に戦うだけの覚悟と準備はない。少なくとも、秀頼様を信用していない。大和中将(宇喜多秀家)がしっかりと地盤を固めて全面的に支援できるようにならなければ動くことはないだろう。であれば、今はここまでの状況で固めるべく外交で動こうとする」
「播磨攻めで池田が四面楚歌の状況に置かれるのは徳川にとって望ましくない。となると、一度講和を結ぶ。豊臣は播磨を攻めない。替わりに飛騨については前田の主張で妥協する、ということですね?」
「そうなると愚考する」
「豊臣と徳川にとってはそれでいいかもしれませんが、それを良く思わない者もいるでしょうね」
「無論そうでござろうな」
「越前に対して、現在我々はどうすべきでありましょうか?」
「ふむ。それについて、老人の意見するところはあるまいよ。わしが見るに、豊前殿の対応は全て正しいものと思われるのでな」
老人の言葉に勝永がにっと笑う。
老人は立ち上がり、庭先へと出る。
「次に戦があるのは…五ヶ月、いや、三ヶ月後くらいであろうか。その時にはわしも戦場に立ちたいのう」
「えっ、しかし、お体の方は…?」
「何、真田殿の下には齢九〇近くになって戦っていた者もおるとか。それを考えれば七五のわしが隠居ばかりしているわけにもおるまい。それに…」
老人は、その年齢とは思えないほどの鋭い眼光を向ける。
「やはり、わしは戦場で死にたいと願っておるのでな。でなければ、息子共も浮かばれん」

ちなみに対応が正しいとか伏線張りながら、勝永が何をしているのか全く作者の中で考えていなかったりするわけです(笑)

戦国終わらず・16

2010.11.25 - 戦国終わらず
あらすじ:大坂夏の陣で、徳川家康が真田幸村らに討ち取られた。さあどうなるの?
これまでの話          10 11 12 13 14 15


飛騨国。
この地は豊臣時代から金森氏が治めており、閏6月に当主可重が急死したため、金森重頼が当主となっていた。
だが、その継承は自然なものではなく、不穏な気配が飛騨を支配していた。

話は4月、まだ夏の陣が戦われていた頃に遡る。
金森氏は東軍についていたが、可重の長男の重近は西軍寄りの考えをもっており、父親をしばしば批判していたのである。そしてこの月に行われた樫井の戦いで重近は西軍と戦うことを拒んだため、この戦いの後、可重は重近を廃嫡し、三男の重頼を後継者として指名したのである。
この判断は、当時の情勢そのままに東軍が勝っていれば。あるいは西軍が勝ったとしても可重が急死することなければ大きな禍根とはならなかったかもしれない。
しかし、実際にはその後西軍は奇跡的な逆転を遂げ、結果としては廃嫡された重近が正しかったことになってしまった。これで家臣団に動揺が走り、しかも、その混乱を鎮める前に可重が急死してしまったため、飛騨の国論は二つに分かれてしまった。
最終的には前当主の意思、ということで重頼の当主の地位が確認されたが、その日を境に重近と数名の家臣は飛騨から姿を消していたのである。

時は7月になろうとしていた。

「は~あ」
加賀との国境近く。国境とはいえ、山深いこのあたりを警戒している兵士はそれほど多くはない。兵士達の緊張も薄い。加賀の前田の動きは気にならないわけではないが、越前に攻めるという噂は飛騨にも広まっており、自分達が攻撃を受けるという意識は微塵もなかったのである。
ところが、そこを狙って前田軍が進攻してきた。しかも、ただ進攻するだけではなかった。
「よう、弥吉」
「おう、八兵衛じゃねえか。どうしたんだ? 最近見なかったけどよ」
「ああ、ちょっくら出かけててな」
「そうか。こんな落ち着かない時に出かけるなんていい身分だぜ…」
弥吉と呼ばれた兵士の話は、八兵衛の刀の前に打ち切られる。
「な、何のつもりだ?」
同じことは国境のあちこちで起きていたのであるが、もちろん弥吉はそれを知らない。
「ああ、飛騨は宗和様(重近のこと)のものになるんだわ」
注:実際には重近が宗和を号するのは大分後の話であるが、官職とか通り名がはっきりしないため、ここでは宗和ということにしておきます。勝手につけるのもややこしくなるだけなので。
そう言って、八兵衛は下を見るような顎の仕草をする。弥吉がそこを見ると…
「ま、前田軍…」
既に前田勢3000が悠々と国境を越えてきていた。

前田勢が飛騨に進攻してきたという報告が、実際に高山城に報告されたのは4日遅れてのことであった。それだけ前田勢の進攻は隠密裏に行われていたのである。その影にいたのは、もちろん廃嫡された重近であった。彼が金沢へと走り、前田の援軍を求めたのである。当然、前田利常もその好機を逃すはずがない。秀頼に対して金森家の家督に関する書状を送ると、すぐに進攻したのである。もちろん、できるだけ楽に飛騨を手に入れられるよう、越前攻めの噂を流してのことであった。
「おのれ宗和、前田の走狗となったか!」
城の中で重頼が吼えるが、吼えて情勢が変わるわけではない。前田勢はおよそ5000の軍勢で押し寄せてきているが、山地が多いうえ、人の少ない飛騨ではそれだけの兵力をすぐに集めることができない。援軍を呼ぶにしても山の中なのですぐに到達できるものでない。
更に援軍要請の届いた美濃や越中では、前田が重近の与力も得て飛騨を攻めたという話を聞いて、「寄越しても無駄だろう」と諦めてしまったのである。
7月13日、前田勢は金森家の内通者などの手引きにもよって、易々と高山城まで押し寄せた。
「…おのれ」
城下を賑わす前田勢の旗印を見ながら、重頼は歯軋りを繰り返す。彼も決して無能ではないが、20歳の当主にできることは少ない。
包囲されて3日後、重頼は高山城を落ち延び、美濃へと逃亡していった。

同じ日に、金森重近が高山城に返り咲き、家督を継承したことを宣言した。もちろん、異論がないわけではない。しかし、前田家の支援がある以上、表立って反抗するものはいなかった。

戦国終わらず・15

2010.11.16 - 戦国終わらず
いい加減、こう各勢力の腹の探りあいみたいなのだけでなく次の戦のシーンに入りたい…
あらすじ:大坂夏の陣で、徳川家康が真田幸村らに討ち取られた。さあどうなるの?
これまでの話          10 11 12 13 14

松平忠昌が北ノ庄で切歯扼腕していた頃、兄の松平忠直と立花宗茂の二人は未だ江戸にいた。
そしてちょうど立花直次が北ノ庄に戻っていた頃、立花宗茂は伊達屋敷で真田幸村と会っていた。
「立花左近将監宗茂にござる」
「真田左衛門佐幸村にござる。立花殿の異名は遠く某の耳にも聞き及んでおりまする」
「何の、某こそ、大坂での真田殿の獅子奮迅の働きぶりを目の当りにした。今やその真田殿と轡を並べることができ、これほどの幸甚はござらん」
互いに世辞、ただしある程度は本心からの世辞、をかわした後、しばらく黙りこむ。
真田幸村は今や徳川幕府の屋台骨といっていい伊達政宗の配下である。配下となってからの日は極めて浅いが、信用度の高さは群を抜いていた。
一方、立花宗茂は伊達政宗の対抗勢力とも言える松平忠直の配下である。こちらも日は浅いが、忠直が参加している主な公式行事のほとんどに付き添っていることから、こちらも信頼度の高さは相当なものである。
同じ徳川家所属ではあるが、勢力は微妙に違う者同士である。腹を割って話し合えるという間柄ではない。むしろ、互いの出方を牽制する必要が高い状況といえた。
「…伊達殿の狙いは何か?」
沈黙を破ったのは宗茂の方であった。
「はて、狙いというのはどういうことでござろう?」
「ここには貴殿と某しかおらん」
「……」
「某は、こうした中で聞いた話を外に言いふらす男と思われておるのか?」
宗茂の言葉に幸村は微笑を浮かべた。こと信義、という点にかけては立花宗茂ほどの律儀者はそれほど多くない。
「某にもはっきりとは分からぬ。共にするようになって日も浅いのでな。ただし」
「ただし?」
「現時点で、越前様が危惧されるようなことにはならないと考えておる」
「はて、越前様が危惧されるというのはどのようなことでござろうか?」
宗茂の言葉に、今度は幸村が苦笑いを浮かべた。
「某はそれほどの律儀者ではござらんが、ここでの話を他言することはござらぬ」
幸村の言葉に、宗茂は首を左右に振る。
「いや、某が貴殿を信用するしないに関わらず、貴殿の言う危惧という内容がよくは分からぬのでござる」
宗茂の言葉に、幸村は不機嫌そうな顔をした。だが、堂々巡りを続けるのもムダと判断したか溜息をつく。
「…少なくとも、今、将軍様をどうこうしようということはござらぬ」
「ほう。そういうことでござるか」
宗茂はそう言って、からからと笑う。ますます幸村の表情が険しくなる。
「立花殿、貴殿は某をバカにしておられるのか?」
「いやいや、これは失敬した。そのようなつもりはござらん。真田殿が勘違いをしているのが不思議だっただけでござる」
「勘違い?」
「越前様は別に将軍様に好意を抱いているわけではござらぬ。何せ父親同士の葛藤があったゆえの」
「……」
「真田殿、ここまでは他言無用でござるが、ここから先は他言していただきたい。越前様と伊達殿の面会の機会を設けていただけぬか? できれば某と真田殿も出られる状況であると助かるが」
「…どういうつもりか?」
「物事には順番というものがござる。今、前田が越前を狙っておる…と見せかけておそらく飛騨に進攻するつもりでござろうが」
「…左様でござるな」
「現在、徳川家は将軍様、伊達殿、越前様の三つに分けられようとしている。この三つが互いに争うのは豊臣家を利するだけでござる」
「その豊臣家も一枚岩ではござらぬがの」
「ま あ、そう見ることもできるが、現時点では一枚岩といっていい。あとは勢力としては島津が勝手に動くのであろうが、少なくとも徳川と豊臣の戦いでは徳川が不 利でござる。戦力としては依然徳川が上であろうが、このままの状況では豊臣方に好き勝手やられてしまう可能性がござる」
「……」
「あるいは越前様と上総介様も最終的には相争うのやもしれぬ。しかし、現時点では手を取りあうことに一理あるのではござらぬか?」
「……」
幸村はしばらく考える。
もちろん、宗茂の言わんとするところは分かる。一旦、徳川家康の手によって戦国時代は一つになりかけた。一つになる、ということは実力よりも秩序が重要視される時代である。その中で手腕を振るったのが徳川秀忠であり、彼の寵臣達である。
しかし、家康と秀忠がいない以上は秩序のある世の中は期待できない。ということは元の実力勝負の話に立ち戻ることになる。この実力勝負の世界になってくると、結局力が物を言う。
力が物を言うとなると、家光の周りにいる者はいかにも心もとない。しかも、その面々が秀忠の時代と同じ意識で実力者の戦力を削減することを目指す可能性がある。その最たる被害者が松平忠直の父結城秀康であり、今後そうなりうる者が伊達政宗といえた。
「…簡単に答えられることではござらぬな」
幸村の計算としては、政宗と忠直が組むのは悪いことではなかった。共に戦闘力という点では十分であるし、連合して家光に当たるというのは、家光個人がどうこうというよりも取り巻きの陰謀から逃れることができる。
ただし、問題があるとすればその二人が勝利した後、果たして松平忠直と松平忠輝のどちらが有利かということである。
(どちらかというと、上総介様の方が不利か…)
手 柄という観点で行くと、伊達政宗の下にいる忠輝と、自分が前面に出る忠直とでは後者が有利である。事実、忠直がここまでの発言力をもつに至ったのは、全て 夏の陣で自分と毛利勝永を食いとめ、東軍の全軍崩壊を防いだことにあった。もちろん、最終的に整然と退却させたのは伊達政宗の功績であるが、それは忠輝の 手柄とはならない。
(最終的に同じくらいの力を得たとすると、当主の声望という点で越前の方が有利。まあ、それでも現在の将軍よりはいいのであろうが…いや、待てよ)
幸村の頭にピンと閃くものがあった。目の前の宗茂を見ると穏和な様子で幸村を眺めている。その優しげな表情には、自分の提案が伊達政宗にとっても有利なものである、というような様子も伺える。
「…とりあえず、話は通しておきまする」
「かたじけない。それで…」
「まだ何かござるか?」
「おう。これこそ真田殿としたい話でござる」
「…はて?」
「前田の小倅にお灸を据える方法の相談でござるよ」
宗茂の言葉に、幸村はにやりと笑った。
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