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その6

2009.10.29 - 戦国終わらず
マイナー武将紹介
立花宗茂:左近将監。鎮西第一の勇将と秀吉に褒められたが、関ヶ原で西軍についたうえに支城を攻撃していて参加できずに改易された。数年後、秀忠に拾われ、小身ではあるが1万石を奥州に有している。某なんとか無双の新作に出るらしいので、今後はマイナー脱却なるかもしれない。



和睦が成り、徳川父子の首を取り返すと、伊達政宗は松平忠輝、徳川義直らとともに東に進み駿府に戻った。
その地で徳川家康・秀忠父子の葬儀を行うことが松平忠輝から発せられ、すぐにそれを伝えに伝令が江戸に走る。
この時、江戸城にいたのは竹千代、国松という秀忠の息子二人にお江与の方であった。竹千代のそばには聡明な乳母として家康からも評価されているお福の姿もある。
政宗の書状を読んだお江与は当然のごとく烈火の如き怒りを見せた。
「大御所様にも将軍様にも嫌われていた忠輝ごときが、どうして主人面して葬儀をするというのじゃ!」
「そ、それは…お二方の首を取り返し、被害を最小限に抑える和睦をしたからで」
「それに近江と大和を譲ったじゃと!? 誰の許可を得てそのようなことを」
「そうは申されましても、あのまま事態を流動的にしておけば毛利(輝元)殿らが公然と幕府に反旗を翻すやもしれず…」
お江与の方が怒ると徳川秀忠ですら謝るしかなかったという噂があるほどに彼女の怒りや八つ当たりはすさまじい。日頃は上品な顔立ちをしているが、一旦眉がつりあがるとその形相は地獄の鬼をも想定させかねないほどのものであった。
そんな恐ろしい相手に対して伝令はひたすら平伏しながら説明をする。もちろん予想していたことであるとはいえ、自分とは全く関係ないことで八つ当たりや罵倒を浴びなければならないのであるから、災難といえば災難であった。
「おのれ政宗め…上様が亡くなられたのをいいことに好き放題やる気かえ…」
もちろん、お江与の方にも忠輝の後ろに政宗がいることは知っているし、また、少なくとも竹千代や国松では政宗の相手にならないことも分かっている。
「正純は何をしておる?」
「それが…岡山口での戦い以降行方知れずでして…」
「将軍様と亡くなられたというのか?」
「ただ、大坂方が首実検をした中に、本多様の首はなかったようでして…」
「ええい! 役立たずめが…」
お江与の方が扇子を投げつける。3間ほど離れていたが、その扇子は物の見事に伝令の頭に命中した。
「いててて…」
「痛がっておる場合かえ!?」
(どうしろって言うんだよ!)
さすがの理不尽さに思わず伝令は言い返そうとして、慌てて口をつぐむ。
見かねたのか、お福が割って入る。
「委細は分かりました。ただ、お台所様は混乱なされておりますので、お返事はもう少しお待ちください」
「ははーっ」
伝令はようやく解放されるのかという安堵感を露わにお福に平伏し、そのまま逃げるように出て行った。
伝令がいなくなると一転、お江与が弱気な表情を見せる。
「…お福、わらわはどうすればよいのじゃ?」
「大御所様と上様の葬儀をされるという以上はやむをえませぬ。駿府に出向くしかないでしょう」
「その後はどうなるのじゃ? 次の将軍は?」
「……」
「わらわは忠輝の将軍位など認める気はないぞえ」
「それは私も同じ考えでございます。ただ…」
「政宗に対抗しやる者が関東方にはおらぬ、ということか」
「佐竹殿、上杉殿あたりになりましょうか」
お福はそう答えるが、あまり見通しは明るくないと思っていた。
佐竹義宣は無能ではないが、堅すぎる部分があるから硬軟織り成す政宗には対抗しがたいように思えた。また実際、20年以上前の話ではあるが政宗と直接対決して負けていることもあるから、あまり期待はできない。上杉景勝、直江兼続の主従も関ヶ原の頃までは堂々としていたが、そこで大幅に領地を削られたことも効いているのか最近は覇気がないという話を聞いていた。天下への野心を露わにし、今まさに飛躍せんとする伊達政宗に対抗できるほどとも思えなかった。
(黒田や細川ももう一つ。島津は遠すぎるし、心中図れぬ…)
当然、譜代の臣は近年の幕府機構の円滑な運営のために能吏が増えているため、戦場をまともに経験している者も少ない。
(…待てよ)
お福は冬の陣の前のことを思い出していた。

その日、お福は駿府に出向いていたついでに家康の下を訪れた。目的はもちろん、竹千代の話をするためである。
首尾よく目的を果たし、とりとめのない話をしているついでに家康がふと話題を変えた。
「さてはて、もし仮に豊臣に勝てなかった場合、牢人共をどうしたものかのう」
「そのようなこと、ござりますでしょうか?」
「無論、負け戦をするつもりはない。が、ままならぬこともあるのが戦というものじゃ。わしが死に、大坂方が残るとなれば、秀忠が戦経験の豊富な真田や後藤(又兵衛基次。史実通り5月6日の道明寺の戦いで戦死)に勝てるかどうか…」
「その場合、伊達様がおられるのでは?」
家康が目をすっと細めた。
「政宗か。確かに奴なら勝てるかもしれんのう。だが、奴は大坂方だけでなく、江戸まで飲み込んでしまうかもしれん。わしが生きているうちに徳川の権力が絶対のものになれば奴は素直に従おうが、そうでないと見れば奴がどうなるかは見当もつかん。佐竹や上杉でも勝てんだろうしな」
「……」
「お福、もしそのような場合になり、秀忠が迷ったり成す術のない状況に陥った場合には左近将監を勧めよ」
「左近将監?」
お福はその官位が誰のものであるか、一瞬思い出せなかった。
「立花宗茂だ」
「立花様…」
「あの男も真田同様に生きるのは下手だが戦の巧さはあの安房守(真田昌幸)ですら凌駕しよう。忠勝がおらぬ今となっては日の本一といってもよかろうな。この戦が無事終わり、平穏に終わるのなら奴は10万石程度で復帰させるのがよかろうが、もし揺り戻る羽目になったなら…」
「なったなら?」
「左近将監に50万石与えて、乱世の徳川を任せるしかない」

駿府に戻った後、お福は秀忠に報告に行った。とりとめのない話をした後、お福は不意に人を退けることを願った。それが許されると、家康が感じていた不安を口にする。
「父上が亡くなられた場合か…確かにわしでは大坂の真田らを封じることはできないだろうのう」
「その場合はいかがなさるのでしょう?」
秀忠は腕を組む。
「いざとなったら左近将監に50万石でもくれてやって、大坂を落としてもらうしかなかろうな。そのために捨扶持を与えて召抱えているのだから」
「50万石?」
お福は驚く。期せずして親子の認識が一致したからだ。
「しかし、50万石で大坂城を落とせば…」
「もちろん更に加増せねばならん。100万石になるかもしれんな。だが、筑前守(前田利常)や陸奥守(政宗)に比べれば、左近将監は強くなっても裏切る心配はない。領国経営に失敗する可能性はあってもな」

お福は、家康、秀忠の話をお江与に話した。
「左近将監か…」
お江与は二度ほど頷いた。
「ご存知なのですか?」
「わらわが秀吉様のところにいた頃、会うたことがある。東に本多忠勝あれば、西に立花宗茂ありと秀吉様は言うておられた。確かに左近将監なら律儀さでも信用できるし、伊達政宗にも対抗しうる」
「ならば…」
「うむ…葬儀に出た後、左近将監を我が陣営に加えるのがよかろうな…」

立花左近将監宗茂は伊達政宗と同じく永禄10年(1567年)の生まれである。
かの立花道雪に才能を見込まれて婿養子となり、その見込みにたがえることなく島津との戦いで活躍。齢20歳にして豊臣秀吉から「武勇忠義は鎮西第一。東に本多忠勝あれば、西に立花宗茂あり」と評価され、主家筋の大友家から独立した柳川13万石の大名に取り立てられた。
だが、関ヶ原の戦いではその豊臣家に対する筋から西軍についたことで運命が一変した。
宗茂(注:この頃はまだ宗茂とは名乗ってなかったらしいが、便宜上宗茂にする)にとって悔やまれるのは関ヶ原の戦いそのものに参加することができず、大津城を攻めていたことである。その間に関ヶ原の戦いが終わったのは主力格としての働きを期待され、自身そのつもりであった宗茂には痛恨であった。だがもちろん、宗茂もその程度で諦める器ではない。合戦後に毛利輝元に対して大坂城での決戦を勧め、これが容れられれば徳川家康に対して逆転する可能性もあった。
だが、輝元がこれを拒否したため、やむなく柳川に戻り、籠城したものの結局降伏して改易された。皮肉にも宗茂に対して一番高い評価を与えていたのは徳川家康であり、宗茂を関ヶ原の戦いに参加させなかったという理由で大津城主京極高次は落城されて敗走することしかしなかったものの加増されている。
徳川家の宗茂に対する評価はその後も変わりがなかった。いや、宗茂ほどの人物が浪人しているのを見逃すほど周囲は節穴ではなかった。宗茂は流浪の身ながら各地で厚遇を受け、その後、徳川秀忠が召抱え、夏の陣の時には3万5千石を有していた。

注:尚、正史では夏の陣の後、旧領柳川に復帰して、関が原で改易しつつ復帰した唯一の大名としても名を残すことになる。

夏の陣にも宗茂は参加していたが、それほどの兵を有していたわけでもなく、遊兵と化していた中で本領を発揮することなく撤退に同行していた。

6月1日。
駿府城で徳川家康、秀忠父子の葬儀が行われた。
そこには喪主として振舞う松平忠輝のほかに、家康の九男徳川義直の姿があり、そして江戸から駆けつけた徳川秀忠の二人の息子竹千代、国松の姿もある。
もちろん、辛うじて天王寺・道明寺の戦いを逃げ延びた徳川譜代の姿もあったが、藤堂高虎や多くの有力大名の姿はない。そんな中で、秀忠の旗本格として奮戦していた立花宗茂は葬儀の中に参加していた。
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