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2011年は勝てるのだろうか…?
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話の大筋:大坂・夏の陣で豊臣方牢人衆が徳川家康を討ち取ってしまった。さあどうなっちゃうの? ということで。
これまでの話 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
紀伊国。
この地を治める浅野長晟は、東上する伊達や東軍本隊を他所にさっさと居城和歌山に引き揚げていた。
と言っても、徳川家を見限ったとかそういう話ではない。浅野氏が37万5000石もの大身になれたのは徳川家との関係が良かったからに他ならず、その徳川家と離れて飛躍を遂げるほどの先見性を長晟が有していたわけでもない。
注:尚、史実では長晟はこの後安芸42万石と更に加増されている。
6月18日。
「殿、殿!」
浅野長重が天守の兄長晟の元に飛び込む。
「根来、雑賀の者共が一揆を起こしました!」
弟の報告に長晟は渋い顔をした。
彼が早々に紀伊に引き揚げたのは一重に在地国人の動向が気になったからである。
元来、この地には雑賀衆とも根来衆とも呼ばれる国人傭兵集団が存在していた。鉄砲を武器に各地を転戦し、特に石山合戦では本願寺側に立ち、織田信長を苦しめている。その後、豊臣秀吉の手も焼かせていたが、最終的には豊臣秀吉が紀伊に攻め入り、傭兵集団としての雑賀衆は壊滅した。
その後も刀狩や検地、あるいは身分を落とされるなど紀伊の地侍の受難の時期は続いたが、完全に反抗の意欲を失ったわけではない。大坂の陣が始まると、一部は徳川家の中央集権に反するべく大坂城に入り、別の一部は紀伊の独立を目指して一揆の準備をしていた。
そうした動き自体はもちろん長晟も把握していたが、それでも限定的な蜂起であればどうにかなると考え、出陣していたのである。
しかし今やその見込みは大きく崩れていた。東軍は壊滅し、紀伊は敵地に孤立するような形で存在している。支援のない中で、敗戦によって士気も下がっている。それで国人一揆に対抗できるか。
「どの程度の兵力が出せる?」
「…半分ほどかと…」
「半分か」
長晟は呻くように言う。もちろん、彼自身それが妥当な線であることは分かっていた。一揆は素早く鎮圧したいが、兵力を多く投入してしまえば和歌山城近郊で一揆が起きた場合に城が取られてしまう可能性がある。
「半分では一度に壊滅させることは難しい…どちらから鎮圧したものか」
「……」
弟の兄を見る目は不安そうであった。
実際、長晟自身も不安であった。雑賀衆の強さというのは伝説的になっている。今の雑賀の国人達が当時ほど鉄砲を有しているとは思わないし、戦乱が絶えて久しいから弱体化もしているはずである。
しかし、それは浅野勢にしてもあまり偉そうなことはいえない。道明寺の戦いなどでそれなりに活躍したとはいえ、あくまで勝てる戦いに勝った程度であり、自分達の兵が百戦錬磨であるという自信はなかった。もっと言えば、そもそも自分がきちんとした采配を振るえるのかという自信もない。
「…今の状況では徳川の援軍も期待できぬしなぁ」
思わず弱音が洩れた。
翌日には弱音を吐く元気もなくなるような事態になっていた。
「兄上、早馬が来て鷺ノ森でも不穏な動きがあるとか」
「何だと!?」
「それだけではなく、中郷、南郷でも…」
「な…」
長晟は思わずよろめいた。
「全土で国人共が動き出したというのか…」
「このままでは…」
「何ということだ…」
長晟は壁によりかかり、溜息をつく。
「兄上…」
長重が声をかける。日頃は兄を「殿」と言う彼であるが、そんな余裕もなくなっているのであろう。
「何だ?」
そんな弟を長晟も特別非難はしない。
「おかしゅうはござらぬか?」
「おかしい?」
「はい。雑賀の傭兵衆は元々まとまって動くことなどない存在だったはずです。ですが…」
「…この一揆はまとまっているし、統率が取れている…といいたいのか?」
「はい」
「大坂方が動いているということであろうか?」
「しかし、大坂方にそのようなことができるのであれば、そもそももっと早くにしていたはずではないかとも思いますし…」
「…考えていても詮無きことだ。とにかく、どうにかせねば」
「いかがしましょう?」
「徳川宗家に頼んでも無駄であろう。現時点では阿波の蜂須賀殿に支援を求めるしかあるまい」
同じく徳川家寄りで海を隔ててすぐの徳島からなら援軍が期待できる。
長晟は直ちに書状をしたため、阿波の蜂須賀家に急使を送った。
三日後、その急使が戻ってくる。携えていた書状を見た長晟は大きく溜息をついた。
「兄上…?」
不安そうな弟に対して、長晟は書状を投げ渡す。そそくさと読み始めた長重もまた、しばらくすると溜息をついた。
そこには、現在の蜂須賀家も豊臣の圧力を受けている状況で如何とも兵を動かせないことがしたためてあり、支援は出せないとの結論であった。そのうえで、落ち延びてくる分には喜んで迎え入れるという文言も記載されてあった。
「…兄上」
「蜂須賀殿にも立場がある。恨むわけにもいくまい」
「それで、いかがなさいます?」
「いかがなさるというが、おまえは何かできることがあるのか?」
「…蜂須賀殿の好意に甘えるしか、ありませぬか」
弟の言葉に長晟も力なく頷く。
6月下旬、浅野兄弟は主だった者を連れて和歌山を発ち、阿波の蜂須賀家へと落ち延びた。
翌月には、雑賀の一揆が紀伊全土で巻き起こり、主のいない紀伊を事実上支配下に置くことになったのである。