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別に大したことでもないのですが、ちょっと気になったニュース。
パリス・ヒルトンさん 日本入国できず 自家用機で帰国(毎日新聞)
何でもイベントで日本に入国しようとしたものの、最近コカイン所持で逮捕されていて司法取引で執行猶予付の判決で済んだというのを入国管理局に咎められて、結局入国許可が出ずにとんぼ返りすることになったのだとか。
ま、それ自体についてはどうでもいい話なのですが、気になるのはこのニュースでは呼び捨てではなくて「パリス・ヒルトンさん」になっていること。これは毎日新聞だけではなくて、どうもテレビなどでもそうだったっぽいのですが、何故彼女に「さん」がついたのかというのが気になるところです。
だってまあ、薬物の犯罪で執行猶予なら「さん」付けで済むのなら、この前の保護責任者遺棄の判決が出るまでは押尾容疑者も「押尾さん」と呼ばれてしかるべきなのでは、ということになりうるわけですし。
海外の人だから、そのあたり日本人の場合と同じく扱っていないということなのかもしれませんが、このあたりの基準がどうにも気になるところです。PR
この前、アスペルガー症候群についての本を買って、「血液型占いとこの手の診断って似てるのでは」みたいなことを書いたのですが、その本を読み続けているうちに興味深いことが書かれておりました。
というのも、現代はこの手のアスペルガー症候群の人が増えているらしいのですが、それは単純に現代社会がアスペルガーにかかっている人の方が生存競争を勝ち抜きやすいからではないかと提起されていたんですね。
で、医学的なことはよく分かりませんが、そういう可能性というのは大いにありうるな~と思ったわけです。
最近は「鬱病の人が増えていて大変だ」というのがあり、鬱病にどの程度の遺伝的要因があるのかは分かりませんが、同じく「鬱病の人の方が結果的に生存競争に勝ち残る可能性が高く、子供を残しやすい結果、鬱病の人が増えている」というのもありうるわけで。
ということで、「鬱病が悪い」という見方自体が実は根本から誤っているのではないかというような気もしたりするわけです。
つまりまあ、よく「病んでいる社会」なんて言葉が使われていて、それが実際どの程度進んでいるのか分かりませんけれども、仮に病んでいるとしても、むしろ病んでいる方が方向性として正しいということもありうると。
ダーウィンの進化論の典型例として首の長いキリンが高いところの木の葉を食べることができるので結果的に生き残ったというのがありますが、その進化の過程で「最近の若いのはみんな首が長くなっちまって、キリン社会は病んできている」なんて首の短いキリンは思っていたのかもしれません。
となると、疾患もある意味勝利因子になりうるわけで、そう遠くない未来には精神疾患ではなくて傾向とかそういう形で語られるようになるのかも、という気もしたり。
Twitterでは既に書いた話ですが、俳優の水嶋ヒロが「作家になりたい」というような理由で所属事務所をやめて独立するなんて話があるのだそうです。
本当かどうかは分かりませんけれども、自分達で会社も作ったとかいう話もあるようで。
で、まあ、私は最初それを見て、「変わった話だけど、まあ、(俳優活動で)それなりに貯金も出来たのだろうし若いうちに頑張るのはいいことなんじゃないの」と単純に思ったわけです。
ところが私は彼のことをあまり知らないのですが、世間は彼に対して悪意があるのか、あるいは余程作家の才能がないと思っているのか、「うまくいくはずがない」とか「甘ったれている」とかそういう声がもっぱらの模様。
早い話が叩かれているようです。
で、まあ、別に落ち度もない、単純に自分の人生の進む先を決めただけの青年に対してそういう批判を言うのもどうなのかな~と、周囲のレベルの低さにちょっと呆れてしまったというのがあります。
大体、みんな「若いうちにチャレンジすることはいいことだ」と言っているわけじゃないですか。
「サラリーマンみたいな束縛された人生が楽しいのか?」みたいなことも言っている人多いじゃないですか。
そこからすると、彼は若いうち(ま、今、高校生くらいの人には「26歳は若くない」という意識があるのかもしれないが)にチャレンジしているわけですし、束縛されている芸能事務所から脱却しようとしている。
これは大変結構なことなのではと思うわけで、何故批判するのか、その方がむしろ不思議になってきます。それはまあ彼の成功の見込みは高くないのかもしれませんが、26歳くらいの人の見通しが多少甘いからといってそれは責められるべき理由になるのかなと。そこまで皆石橋を叩いて渡らなければならんものなのかと。
仮にうまくいかなくても、某押尾氏のように犯罪を犯して結果的に誰かを死なせてしまったということもなければ、沢尻さんのように誰かを馬鹿にして不愉快にさせたわけでもないので再チャレンジするというか、もとのところに戻ってくればいいわけですよ。
その点では日本の芸能事務所は彼みたいな独立したのを嫌うのかもしれませんけれど、日本の芸能界自体が瀕死状態で彼が戻ってくる頃には死んでるかもしれませんからね。
いやま、実際のところ、「結構なことだ」と思ったのと同時に「それなりに才能があるみたいなので、これ以上沈む船に乗りたくないだけなのかも」ということも思いましたので(笑)
もちろん、私のところに伝わってくるのは彼らの発表くらいなので真の理由については知る術もありませんが、普通の青年が違うチャレンジをするのは結構なことですので、具体的に何か応援できるわけでもありませんが、成功できるよう頑張ってほしいな~と思う限りです。
昨日でしたか自民党の影の内閣の顔ぶれを見て、拉致担当大臣がいないことに気付いた時には「省略されたのだろうか、あるいはいらないということなのか。自民党なら後者かな」と思っていたのですが、今しがたのニュースを見ると忘れていただけらしくて追加したとかいう何だか締まりのない話がありました。
で、まあ、「お~、いないのか」と最初半分感心したように、個人的には拉致担当相なんてのはいらないんじゃないかな~と思っております。
理由は2つあって、まず何をやってるのかよく分からないということ。
拉致解決はぶっちゃけてしまえば外交か軍事で解決すべき問題なので、外務大臣か防衛大臣が兼任するというのなら分かりますが、そうでない人が兼務しているというのは正直あまり意味があるように思えません。マジメに議論始めるとなると統一性がなくなってややこしくなるだけです。ま、実際のところはマジメに議論なぞしていないと思いますけれども。
穿った見方かもしれませんけれども、外務省とか防衛省がややこしい案件を抱えるのを未然に防止するために切り離されてこういうポストが出来たのではないかという気もしてきます。
もう一つの理由はというと、上の理由で「何をやっているのか分からない」と書いたのとは矛盾しますが、拉致担当相はおそらくは被害者関係者との窓口になっていろいろ話しているんだろうと思います。が、上にあるように外務・軍務関係と接点がないのであれば正直窓口として彼らが話をしていてもあまり意味がないのであって、拉致被害者とその関係者が圧力団体になられても困るというのがあります。
彼らが北朝鮮との外交に関してある程度の物言いをするというのは理解できるわけですけれど、普通の日本国民との関係で特権を主張されるとそれは何か違うわけだと思うのですが、実際その傾向というのがここしばらく出てきているわけですので。
解決が難しいということで、その分の見返りを要求されてもそれは困るな~と思うわけですが、その窓口としてこの何をしているのかよく分からない大臣ポストが利用されているんじゃないかと、そういう気がしてくるわけです。
大臣は兼務している分には大臣報酬を余分に払う必要はないということですが、どれだけの意味があるのか分からない大臣ポストを増やされるのは、ある意味税金のムダという形にもなりうるわけで、それは拉致担当だけに限ったものではありませんが、新味を出すというので大臣の数を増やすのは勘弁してほしいな~と思う次第です。
きょう川の果ては、期待ー!
でも、あけるなるは、出場するはずだったみたい。
*このエントリは、
ブログペットの「
あけるなる」が書きました。