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2011年は勝てるのだろうか…?
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イラクのサッダーム・フセイン元大統領の死刑執行について、色々意見や疑問などが提示されております。
で、フセイン裁判と東京裁判を照らし合わせて考えている…という人も結構多いみたいです。
ただ、個人的にはそれでブツブツ文句を言う…というのははっきり言って理解できないんですけれどね。
私は別に東京裁判の検証もしていませんし、裁判が正当だったのかは分かりません。不当な部分もあったのかもしれないし、正当な部分もあったのでしょう。
ただ、裁判というものは究極的には政治作用である以上、完全に公正な裁判なんてのは実現するはずもなく、どこかしらの政治作用が挟まるのは仕方ないわけですし、また、そのためにあるいは不当な裁判というものもあるのかもしれません。
東京裁判と同じことがフセイン裁判で起きたとしても、それはそれで別に不思議でも何でもありません。
しかし、それが不当であることに対して文句を言う資格があるのかというと、大半の人にはないと思います。
何故なら日本は死刑を容認している国だからです。死刑について8割以上の人が賛成しているわけで、その大半は「少々冤罪があったとしてもそれ以上に死刑執行によって得られるメリットがあるから仕方ない」と考えているわけであります。
ということは、東京裁判当時から死刑容認国であり、現在も強い死刑容認論がある日本で、「あの死刑は不当だ。裁判がおかしい」というのはナンセンスです。「彼らは冤罪だったのかもしれないが、そういうことがたまにあったとしても死刑によって得られるメリットがある」と考えられているからこそ未だに死刑は存在していると考えるべきなんですからね。「彼らは本当に悪かったのか? ああいう人間を死なせて良かったのか。二度と彼らのような人を出さないためにも死刑は廃止して終身刑にすべきではないか」いうのなら理解できますけれど、日ごろ死刑を唱えておきながら政治的な死刑になるとあれこれ文句を言うのは背理と言うしかありません。
裁判に間違いがあると思うから団藤先生(元最高裁裁判官を勤めた刑法学者)あたりは死刑廃止論を唱えるのであって、その意見にはケチをつけながら、裁判に間違いがあるんじゃないかと文句を唱えるのは利己的この上ない議論というべきでありましょう。
結局のところ、あるものは自分たちが巧く利用できる反面、他人にも利用されうるものなわけです。
25日に4件の死刑が執行されましたが、それとフセインの死刑執行は結局は同じ問題を抱えているのであります。それが片方はOKなのに、片方が釈然としないというのは考え方がキチンとなっていない、ということなのではないでしょうか。
死刑=社会の暗部であるかについては何ともいえないですし、ロシアあたりを見ていると死刑が無ければ権力による不明確な死がなくなるとも言えません。
人間のやることですから裁判にしても戦争にしてもストンと納得てきるようなものたりうるのは不可能なのではと思います。
イラク戦争の本質についても、もうしばらくしてある程度の形(統一が維持できるにしろ内戦になるにしても)からでないと分からないのではないでしょうか。
無題 - うずら
死刑がある国はその国の社会の悪さを現しているのでは!?
イラク戦争は内橋克人著「悪夢のサイクル」で示しているように市場原理主義VSイスラム社会を物語っているでしょう