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「戦国終わらず」その9

2009.11.16 - 戦国終わらず
そろそろ、目次みたいな感じで1から出していった方がいいですかね~。
といっても、昔某童話もので目次作るのが大変だったので1~20なんて続いたりするだけで気が遠くなりそうなのですが…(笑)



加賀・金沢城。
城主にして加賀能登120万石の主前田筑前守利常の正室珠姫は5月以降、毎日のように悲嘆の涙に暮れる日々を送っていた。
珠姫の父親は江戸幕府第2代将軍徳川秀忠である。
その徳川秀忠が大坂で戦死したというのも彼女にとっての不幸だが、それを決定づけたのが利常であったというのもまた彼女を悲しみの淵に叩き落していた。
ただ、彼女にとって悲しいというのは必ずしも父親が死んだということではない。もちろん、それも悲しいのであるが何より不安なのはこのことによって自分が放逐されてしまうのではないかということであった。
3歳の時に政略結婚で金沢に来た珠であるが、利常との相性は良く、仲むつまじく過ごしており、16歳にして既に母親となっており、現在も妊娠中(正史では4代目となる後の光高。この話では未定[苦笑])である。
そもそも3歳で金沢に来ているのであるから、江戸に対する思い入れなどはない。彼女は金沢が気に行っていて、申し分のない夫に恵まれたと思っている。
であるから、余計に夫が父を討ったという事態は恐ろしいものである。徳川家との決別を表明した以上、珠は利常にとって政治的には不要なものである。直ちに処刑されるということはないにしても、出家を強要されるかもしれないし、江戸に送り返されるかもしれない。仮に残ることができたとしても、敵対勢力の女を正室にしておくのは通常ありえない。となると、誰か別の女を迎えて正室にする可能性もある。正室の座を取られるのは仕方がないにしても、寵愛が奪われるのは耐えられないことであった。
そうした恐怖から、珠は利常が戻ってくるのを極度に恐れていた。もちろん、夫に会えない寂しさは募るのであるが、帰ってこない限りは送り返されたり、最悪の事態に至る可能性は低い。

6月1日。
前田利常は金沢に戻ってきた。利常は直ちに城に入り、珠姫のいる奥の間へと向かう。
「珠、いるか」
中に入ると、珠は入口に背中を向けていた。それが利常にはあたかも自分を拒絶しているように見えるが、実際には珠も珠で怖くて利常の方を向く勇気がないということがある。
「珠…」
利常は付近の侍女や乳母を一睨みにして隣室に下がらせ、その場で座り込む。
「済まぬ、珠」
「殿…」
利常はその場で平伏したが、珠はそれでも振り向けない。謝っているのが何に対してなのか分からないからである。このまま離縁を宣言されたらどうすればいいのか、珠が裾を握る手に力がこもる。
「わしはお前の父を討った」
「…存じております」
震える声で返事が返ってくる。
「わしは義父様が憎かったわけではない。だが、このようなことも戦国の習い。前田が天下を取るためにそうせざるをえなかったのじゃ。許してくれ」
「……」
利常は正室の無言を拒絶と受取り、溜息をついた。
「…わしはそなたと離れたくはない。だが、そなたがわしを許せぬ、もういたくないというのなら詮無きこと。徳川家に戻るというのなら手配の準備をいたす。好きなように申してくれい」
「…江戸には、戻りたくありませぬ」
珠が振り返り、利常のそばに歩み寄る。
「私は、金沢に、殿のそばにいとうござります」
「だが、わしはそなたの父を討ったのだぞ?」
「分かっておりまする。ですが、私は前田家の女でございます。前田家の繁栄のために、殿がなされたことであれば私は何も申しません」
「珠…」
利常は涙を流して、珠を抱き締める。
「どうか、どうかおそばに置いてくださいませ」
珠も涙を流しながら、利常の背中へと手を回した。

奥の間から出てきた利常に本多政重が近づいてきた。
「殿、奥に会われていたのですか?」
「ああ」
「それでいかに?」
「珠は許すと申してくれた…」
「左様でございますか。それで…」
「何だ?」
「殿と奥方様の仲の良さは存じておりますが、この先はいかがなされますか?」
「何もせん。珠が望むならともかく、わしの方から珠を離縁したりすることは断じてない」
「ただ、今後のことを考えると…」
政重は尚も何か言おうとするが、利常はそれを遮るように言う。
「大和。お主の言いたいことは分かる。それが正しいことも分かる。だがわしにとって珠以上の妻はおらぬのじゃ。離縁はできぬ。正室から下ろすこともできぬ…」
「そうまで申すのなら仕方ありませぬ。某も奥方様に含むところは何一つございませぬゆえ、殿がそう申すのなら、他の者にもその旨を伝えて参りましょう」
「済まぬ」

利常は本田政重としばらく今後の方針について話をする。その間は活き活きとした顔をしていたが、一点政重と別れるとまた珠に会いに行く前の浮かない顔になった。また会いに行きたくない人物と会いに行かなければならないという態度がみえみえで、このあたりはまだ22歳という前田利常の若さを示しているとも言える。
利常は溜息をつきながら、城内を歩く。
その行き着いた先は藩祖ともいえる父前田利家が生前利用していた部屋であった。
中には従者以外に2人の女性がいた。1人は既に老境にさしかかっており、もう1人も若いとはいえない。
「これは殿…」
老境に差し掛かった利家の正室まつであった。
「金沢に戻っておられたのですか」
話している内容は普通であるが、言葉の節々に毒というか嫌味が入っているのを利常は感じた。
(まあ、無理もなかろうか)
まつは利家亡き後の前田・徳川の間を必死につないできた人物である。利長に謀反の疑いがあったときには率先して江戸に赴き自ら人質になり、そこで交渉役を務めるなど非凡な能力を見せている。彼女がいたから前田家が120万石を保てているといっても過言ではない。
その彼女が必死でつなぎとめていた前田・徳川間を利常がひっくり返したのであるから、面白いはずはない。
加えて、まつは利家の正室であるが、利常の母親ではない。また、利常の母親である千代保(おちょぼ)とは険悪な仲であり、これもまた利常にとっては頭が痛いところである。
「はい」
「それで殿!」
もう一人の女性はというと、こちらは期待に満ちた眼差しを向けていた。前田利家の四女豪姫である。
「姉上。急な話ですが、二日後に江戸に向かってもらってよろしいでしょうか?」
利常の言葉に豪の目が輝く。
「それは…」
「はい。宇喜多殿をまず金沢に迎えるつもりですので、その使節になってほしいと思っています。大和守も同行させますゆえ」
利常が本多政重を同行役に選んだのは一番の重臣ということもあるが、元々関ヶ原の頃までは宇喜多秀家の家臣であったことにもよる。関ヶ原で善戦したが、宇喜多秀家が取り潰しにあってしまったため、前田家に来ることになったのである。
「…ああ、孫九郎や小平治にも会えるのですね」
「はい」
「母上、うれしゅうございます」
豪はまつに嬉し泣きをしながら抱きつく。さすがに娘がここまで喜んでいるとあってはまつも利常に嫌味を言えなくなったらしい。
「殿、ありがとうございます」
「いいえ、義兄上を金沢に連れてくるのはあくまで初手にござりますゆえ」
「それは頼もしい」
「現在、大膳(横山長知)と九郎左衛門(長連達)が大坂との折衝に当たっておりますが、近江に10万から15万石ほどの加増となる確約は得ております。高島のあたりならば良いとは思っておるのですが」
少し緩んでいたまつの顔がまた険しくなる。
「殿、私に遠慮してそのようなことをするのならば、それはいらぬ遠慮です」
「…義母上?」
「殿は徳川を討つことで前田の天下を夢見ているのでありましょう? ならば一番天下に近い要所をいただけるようにしてください」
「は、はあ…」
「私は孫娘達に自分の化粧領の近くにこだわらせたがゆえに前田の天下を失わせたなどと言われとうはございませぬ。この老人に構わず、有効な手を打ちなさい」
「…分かりもうした」

今回は前田オンリーに。やっぱ120万石(利常が死後に支藩を作って100万石になったらしい)だけあって色々あります。
本当は横山長知あたりと利常が険悪になるところなんかもあればいいのかもしれませんけどねー。
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「戦国終わらず」その8

2009.11.14 - 戦国終わらず
6月4日。江戸から徳川秀忠の正室お江与の方と2人の子供竹千代、国松が駿府に到着した。
到着した3人と佐竹義宣が最初に行ったことは竹千代と国松の元服である。それぞれ徳川家光、徳川忠長と名乗ることになったこれが将軍位を見据えたうえでの元服であることは言うまでもない。
翌日から家光と義宣は譜代の家臣の間を回る。もちろん、世間話をするわけではなく、家光将軍に向けての足場固めをするためであった。
ただ、そこにいたるまで全く問題がなかったわけではない。実はお江与の方は長男の竹千代よりも国松の方を寵愛しており、できれば忠長となった次男を将軍にしたいと考えていた。実際、それを佐竹義宣に打診したのだが、だが義宣からは「嫡男の竹千代様を外してしまえば、上総介(忠輝)が将軍になりうる理由を与えてしまうことになる」と強くいさめられた。
また、国松を後継にしようとすると、竹千代の乳母のお福が反対派に回ってしまう可能性がある。傲慢なお江与の方もお福の能力は評価していたし、彼女がいなくなると困るという思いもある。そこでやむなく、国松を将軍にすることは諦めたのである。

葬儀に先立って、徳川一門が勢ぞろいして今後の善後策を話し合うことになった。
参加しているのは以下の者であると言いつつ、本来いなければならない誰か抜かしてる可能性はあるけど。そういう人がいたら指摘してください)。

お江与の方
お福
徳川家光
徳川忠長
松平忠輝
松平忠直
徳川義直
徳川頼宣
徳川頼房
伊達政宗
正木頼忠
佐竹義宣

ここでも政宗は家のことという理由で譜代の参加を認めなかった。だが、お江与の方が強く主張したこともあって佐竹義宣の参加だけは認められている。
「以前、お台所様に申し上げました通り、大坂方との和睦内容で徳川家が次の将軍位を出すことを認める旨の内容を入れてもらいました」
挨拶もそこそこに政宗が切り出す。お江与も義宣も予想していた話であるので、さほど驚かない。
「なれど。上様と大御所様がそろって突然にみまかわれたということで、お二方が誰を後継と考えていたかは定かではござりませぬ」
政宗の言葉に周囲の緊張が高まる。何人かがちらちらと忠輝に視線を向ける。政宗もその様子には気付いていたようであるが、意に介することなく話し続けた。
「とはいえ、順序としては上様の嫡男が継ぐのが順当かと思います。ちょうど竹千代様が元服されましたことですし、竹千代様が将軍となられるのが筋ではないかと…」
「異論はござらぬ」
義宣が答える。この間、義直、頼宣、頼房らは何の発言もしない。というよりまだ20にもならない彼らに歴戦の二人の話し合いに割って入ることなどできないという方が正しいであろう。また、頼宣、頼房の二人の祖父である正木頼忠は実績のほとんどない数合わせのような存在に過ぎないし、本人もそれを自覚しているのか何も言わない。
「では、竹千代様が将軍となられることに反対する者はございますまいな?」
政宗は全員を見渡すが、誰も反対しない。
「では、葬儀が終わり喪に服した後、そのように取り計らうことにいたします」
政宗はそう言うと家光に向かい、平伏した。他の者達もそれに続く。家光は少し怯えたような様子でそれを受けていた。
「とはいえ、上様は元服されたばかりで幕府の政務をすべて見るのは難しいと考えます」
政宗の言葉は続く。
「そこで、某は実績ある上総介様が将軍を後見するという形式をとるのがよいのではないかと思います」
「あいや、待たれよ」
義宣が左手をあげる。
「何でござるか?」
「実績があるといわれるが、上総介様にしてもまだ25にござるし、幕府の中で何かをしていたということはござらぬ。某は別に上総介様の器量に疑いを抱いているわけではござらぬが、こちらには前の戦で実績をあげた越前様がおられるわけですから、越前様と上総介様のお二方で見るというのがようござらぬか?」
義宣は元々筋書き通りのことを読んでいるかのような棒読みめいた様子で話した。
「…それは別に問題ござらぬが」
政宗は一瞬、戸惑いの表情を見せたものの、すぐに余裕の様子で答えた。

その夕方。伊達屋敷。
戻ってきた政宗は真田幸村を呼んで経過を報告していた。本来の腹心片倉重長は有力大名らへの見回しや情報収集にあたっている。徳川方では表立って行動のできない立場にいる幸村は政宗にとってはいい相談相手であるといえた。
「…ということで、大方予想通りのところに落ち着いた。佐竹が越前守を後見人と言ってきたことにはやや驚いたがな」
「それについては…?」
「認めた。あまり佐竹やお江与殿と対決しすぎるのもよくないからな。越前も所詮は若造だからそれほど恐れることではないし、それにそもそも奴の父親は徳川宗家に冷遇されていたから、心情的に幕府中枢に肩入れすることもないだろう」
「確かに。越前では松平忠直ではなく結城忠直を名乗っているという話も聞いたことがあります」
「詳しいのう」
「真田の草も中々有能ですので」
幸村の言葉に政宗は満足そうに頷く。真田の草(忍び)が有能であるということは、それを使うことのできる政宗にとってはいいことである。
「あるいは前田あたりを焚きつけて攻め込ませてみるのも面白かろう。大坂では機微よく活躍できたが、所詮大御所や秀忠が戦死した混乱をついての徒花に過ぎんということが判明するだろうからな。葬儀が終われば、その頼りになる真田の草に早速動いてもらおう。おっ」
玄関の方の話し声に政宗が反応した。重長が戻ってきたのである。しばらく待っていると足音高らかに重長が入ってきた。
「どうだった?」
「はい。竹千代様の将軍就任ということで大方の者は安堵しているようですが、我々がどう動くかということには依然として警戒が強いようです」
「そうか。今、ちょうどその話をしていたが、まずは佐竹が後見人として選んだ越前守を陥れようと思うておる」
政宗の言葉に、重長の目つきが険しくなった。戦場でならともかく、こういう話の中で彼が政宗に対して過敏な反応を見せるのは珍しいし、政宗も当然そのことに気付く。
「どうした…?」
「越前守殿といいますと去る27日に榊原殿(康勝。四天王康政の三男)が亡くなられて空位となった館林13万石を越前守に与えようという動きがあるようです」
「おお、それはわしも聞いておる」
政宗はあまり意に介している様子ではない。
大坂の陣で激戦地にいた幕府方の大半の大名が何とか逃げ延びることができたのは松平忠直の功績が大きいというのは多くの者が知っているところである。当然、その功績に関しては評価しなければならず、ちょうど榊原康勝が病死して空位となった館林13万石を加増するというのは誰かが損をするということもないので、まるで問題のない話である。
既に越前75万石を領している忠直がさらに13万石を得るとなると禄高は90万石近くにまで及ぶ。
だが、政宗にとってはそれでも90万石、くらいの認識であった。
政宗の領している仙台は62万石ということになっているが、実際にはもう少し大きいし、今後の整備如何では100万石までいたるという自信が政宗にはあった。また、忠輝も越後75万石を有しているが、これも実質は政宗の間接的に統治している領土である。
となると、忠直程度が90万石程度を有したところで何になるかという自負が政宗にあった。
であるから、その話があった時に政宗はむしろ賛同していたのであるし、葬儀の前にその論功行賞が行われるという話も聞いていた。
「それが…」
「どうした?」
「越前守はその領土を立花左近将監殿に与えるように手配したという話です」
政宗の表情が変わる。
「左近将監とな…?」
政宗ももちろん、立花宗茂の戦場での実力を知っている。
そして重長の先ほどの様子についても納得できた。
松平忠直程度ならば怖くはない。
しかし、立花宗茂が出てくるとなると話は全く変わってくる。松平忠直と立花宗茂が接近しているというのは好ましい話とはいえなかった。
しかも、そうなってくると佐竹義宣らが松平忠直を忠輝とともに家光の共同後見人にしようとしたことの意味も変わってくる。佐竹義宣は現時点では江戸譜代の意見を代表しうる存在であるから、義宣も立花宗茂と接近しようとしていることが考えられる。
「うむ…越前守が左近将監と接近していたというのを気付かなんだはわしの失態だった。葬儀が終われば本格的に仙台で考え直す必要があるかもしれんな」

その7

2009.11.06 - 戦国終わらず
6月1日。
大坂から行軍を続けていた東軍のうち、4万が駿府城に到着した。
駿府より西に城を構えている大名は様子見等もあるのだろう、藤堂高虎はじめ大半の者が居城へと舞い戻っている。
であるから、この駿府に行軍を続けているのはほとんどが徳川譜代若しくは側近であった。伊達政宗だけがほぼ唯一の例外といっていい。その政宗のそばには、人知れず真田幸村がついている。

徳川譜代が多いのであるから、行軍している諸将の顔は暗い。
そんな中で唯一明るいといっていいのは松平忠輝の部隊であり、また唯一普通の様子で行軍しているのは松平忠直の部隊であった。
松平越前守忠直は20歳。徳川家康の次男結城秀康の息子である。父秀康はその祖父から嫌われ、不遇のうちに8年前に没したが、将としての素質は高く評価されていた。その息子の忠直もまた、父親譲りの才覚を持つ逸材との評価が高い。
実際、冬の陣では早まった行動をして家康の不興を買ってしまったが、5月7日の戦いにおける松平忠直の働きは敗戦の中でずば抜けたものを見せていた。毛利勝永、真田幸村の攻勢に耐えかねて祖父を守りきることこそできなかったものの、その後も戦線を崩さずに真田勢を一時押し返す奮闘を見せ、真田・毛利勢が岡山口の支援に向かった際には劣勢の状態ながら両部隊の後方を追う豪胆さを見せ付けた。
これも結局秀忠を救うことにはならなかったが、残る部隊をまとめあげて何とか後退に持ち込めた。
大坂方が家康・秀忠を討ち取ったことでそれ以上の攻撃目標を失い、その後しばらく統一された行軍がなかったという幸運はあったものの、多くの大名が何とか逃げ延びることができたのは一重に忠直が遮二無二戦い続けたおかげであるといっても過言ではなかった。

さて、駿府城にたどりついた幕府軍であるが、そこで一つの問題が発生した。
「我々が葬儀に参列できぬとはどういうことでござるか?」
文句を言っているのは土井利勝。
言われているのは伊達政宗である。
「徳川将軍家のことにござれば、貴殿らの参列は無用ということでござる」
「されど、伊達殿は参加するということではござらぬか」
「某が参加するわけではない。上総介殿の体調が優れぬということで、代理として参列させていただくのみ」
「代理が参列できるなどという決まりはどこにあるのでござるか?」
「上総介様が仰せでござる」
「それは伊達殿の決めたことではござらぬのか?」
「ならば上総介様にお伺いされればよかろう」
「そのようなことに意味があろうか。貴殿と上総介様は縁者であるのだから」
「ならばそれで納得されればよかろう。仮にそういう取り決めがなかったとしましても、土井殿のように上様が亡くなられて何もできず、ただ逃げ延びるだけだった者がおられては大御所様と上様が
「ぐっ…」
利勝の顔が怒りで真っ赤になる。もちろん政宗の言葉に対する怒りもあるし、実際何もできなかった以上、言い返すことができないという悔しさもあった。
「なれば伊達殿」
不意に遠くから声がかかった。二人が顔を動かした先ににやにやとした笑みを浮かべている松平忠直の姿がある。
「某は当然参列してよいということであるな?」
「当然にございます」
「ところが某も少し体調が悪い。場合によっては参列できぬやもしれぬが、その場合は代理の者を参列させていいか?」
「…仕方ありますまい」
政宗はけげんな顔をしたが、先程までの発言もあるので変更することはできない。
「それを聞いて安心した。上総介殿にも了承を取っておいてくだされ」
「ようござる」
「利勝、おまえも聞いたな?」
忠直の言葉に利勝の顔がまた赤くなる。名前で呼び捨てにされたのであるから、こちらは単純な怒りによるものであった。だが、政宗に対して僅かなりとも不利に働く事情であれば反対する理由はなかった。
「確かに」
「では、俺はこれで」
忠直は不意に声をかけたのと同じように不意にくるりと背を向けて去ろうとする。
「え、越前様」
それを利勝が追う。
残された政宗は首をかしげた。
「ふむ…一体何をするつもりなのやら」

町へ戻ろうとする忠直を利勝が追いかける。
「越前様!」
「何だ?」
「先程の話でございますが…」
「先程だけでは分からん」
「代理の者のことでござります」
「ああ」
「その役、この利勝めにお任せいただけないでしょうか?」
利勝は先程呼び捨てにされた怒りをおさめて頭を下げる。だが、忠直はあっさりと「嫌だね」と答えた。
「おまえを代理に立てる理由がない」
「なれば、安藤殿か酒井殿、あるいは井伊殿あたりでも」
「何でそんな奴らに代理になってもらう必要がある」
「伊達に対抗するためでございます」
「伊達に?」
「左様。伊達めの魂胆は外様でありながら上様や大御所様の葬儀に出たということで、自分が別格という認識を世間に植えつけたいことにあります。元々の実績や実力も秀でていること等考えればこのままでは伊達めが徳川家を乗っ取るやもしれず、何とかそのための対抗策を考えねばなりません」
利勝が必死に話すが、忠直はまるで気にしない。
「別に構わんではないか」
「か、構わんとは…」
「徳川というのも実際のところ、叔父上(秀忠)とおまえ達のものだったのであろう。それが上総介と伊達に変わったところで俺には何の違いもない。いや、おまえ達には冷遇されてきたが、伊達には恨みはないから、どっちかというと上総介の方がまだ味方できる」
「…べ、別に我々は越前様を冷遇した覚えはございませぬ」
「ほう? ならば何故我が父は将軍になれなかった? 何故我が父は遠い越前などに押し込められたのか?」
「そ、それは大御所様の考えられたことでございまして…」
「ではおまえ達は大御所に意見したのか? 長幼の順を守るべきではないかと家康に意見したのか?」
「……」
「だったら結局変わらんではないか」
忠直を吐き捨てるように言う。
「俺は家康や秀忠の葬儀など参加する気もない。だが、当然おまえ達に参加させる気もない。参加してもらう人間は既に決めてあるからごちゃごちゃ言うな」
「だ、誰を参加させる気なのでござるか?」
「そんなことおまえの知ったことではなかろう。邪魔だからさっさとどけ」
忠直は利勝を突き飛ばして自分の持ち場へと戻っていく。
「おのれ…猪突猛進しか知らん小僧が…」
利勝はそんな忠直の後姿を悔しそうに睨むだけであった。

松平忠直は駿府城を出ると、すぐに越前藩の屋敷には戻らなかった。馬に乗ると供回りもつけずに向かった先は小さな屋敷である。
忠直はそこに入ると、途端に帯などの身なりをきちんと直す。そのまま上に静かな足音で上がった。
「左近将監殿、おられるか?」
「はい」
返事があると、忠直は丁寧に襖を開けて中に入る。
立花左近将監宗茂が静かなたたずまいで茶を立てていた。
「先程、伊達殿に了承をとりつけて参った。代理を立てて良いとのことだ。あの規則に口あるさい利勝も聞いておったから、間違いなかろう」
「……」
「だから、某が左近将監殿を代理に立てても誰も文句を言うことはござらぬ」
「感謝いたします」
宗茂が息子のような忠直に平伏する。
「と、とんでもない。俺…私としてはあまり家康とか秀忠の葬儀に出たいという気にはなれんでな。左近将監殿が代わりに出てくれるのはむしろ渡りに船だ。しかし…」
「何でございましょう?」
「しかし、あまりこういうことを聞かぬ方がいいのかもしれないが、何故立花殿は葬儀に出たいと申される? 左近将監殿にとって徳川家は柳川13万石を取り上げた相手。恨みがあるのではござらぬのか?」
「某は上様の側近として取り立てられ、3万5千石を頂戴しておりました。過去の経緯は経緯としてありますが、恩義は恩義として報いるべきものにございます。某はそれが出来なかった…」
「いや、しかし、あの場で2千の兵で秀忠を守るのは無理でござろう。利勝や忠世らは足しか引っ張らないし…」
「…確かに…」
「あの場に左近将監殿がいなければ、某らも討ち死にしていたかもしれぬ」
「合流した後いきなり采配を渡されたときにはさすがに狼狽しましたぞ」
「私は突き進むしか能がござらぬゆえ」
「前に進み続けることも重要でございます」
「私もそうは思うが、進むだけで方向転換ができん。だが戦場においてはそうも言っておれん。本当は自分でできればと思うが…」
「それは経験を積めばできるようになるものでしょう」
「そうであれば良いのだが…む?」
忠直はその時、階段を上ってくる足音に気付いた。宗茂は平然とした様子で口を開く。
「摂津(十時連貞のこと)、いかがいたした?」
「殿に会いたいと言われる方が来ております」
宗茂はちらりと忠直を見た。忠直は「自分は出た方がよかろうか?」と言おうとしたが。
「何者だ?」
宗茂が先に連貞に聞く。忠直は一瞬「いいのか?」と思うと同時に宗茂が自分のことを信用してくれていることに嬉しさも感じた。
「上様の嫡子竹千代様の乳母でお福と申される方です」

その6

2009.10.29 - 戦国終わらず
マイナー武将紹介
立花宗茂:左近将監。鎮西第一の勇将と秀吉に褒められたが、関ヶ原で西軍についたうえに支城を攻撃していて参加できずに改易された。数年後、秀忠に拾われ、小身ではあるが1万石を奥州に有している。某なんとか無双の新作に出るらしいので、今後はマイナー脱却なるかもしれない。



和睦が成り、徳川父子の首を取り返すと、伊達政宗は松平忠輝、徳川義直らとともに東に進み駿府に戻った。
その地で徳川家康・秀忠父子の葬儀を行うことが松平忠輝から発せられ、すぐにそれを伝えに伝令が江戸に走る。
この時、江戸城にいたのは竹千代、国松という秀忠の息子二人にお江与の方であった。竹千代のそばには聡明な乳母として家康からも評価されているお福の姿もある。
政宗の書状を読んだお江与は当然のごとく烈火の如き怒りを見せた。
「大御所様にも将軍様にも嫌われていた忠輝ごときが、どうして主人面して葬儀をするというのじゃ!」
「そ、それは…お二方の首を取り返し、被害を最小限に抑える和睦をしたからで」
「それに近江と大和を譲ったじゃと!? 誰の許可を得てそのようなことを」
「そうは申されましても、あのまま事態を流動的にしておけば毛利(輝元)殿らが公然と幕府に反旗を翻すやもしれず…」
お江与の方が怒ると徳川秀忠ですら謝るしかなかったという噂があるほどに彼女の怒りや八つ当たりはすさまじい。日頃は上品な顔立ちをしているが、一旦眉がつりあがるとその形相は地獄の鬼をも想定させかねないほどのものであった。
そんな恐ろしい相手に対して伝令はひたすら平伏しながら説明をする。もちろん予想していたことであるとはいえ、自分とは全く関係ないことで八つ当たりや罵倒を浴びなければならないのであるから、災難といえば災難であった。
「おのれ政宗め…上様が亡くなられたのをいいことに好き放題やる気かえ…」
もちろん、お江与の方にも忠輝の後ろに政宗がいることは知っているし、また、少なくとも竹千代や国松では政宗の相手にならないことも分かっている。
「正純は何をしておる?」
「それが…岡山口での戦い以降行方知れずでして…」
「将軍様と亡くなられたというのか?」
「ただ、大坂方が首実検をした中に、本多様の首はなかったようでして…」
「ええい! 役立たずめが…」
お江与の方が扇子を投げつける。3間ほど離れていたが、その扇子は物の見事に伝令の頭に命中した。
「いててて…」
「痛がっておる場合かえ!?」
(どうしろって言うんだよ!)
さすがの理不尽さに思わず伝令は言い返そうとして、慌てて口をつぐむ。
見かねたのか、お福が割って入る。
「委細は分かりました。ただ、お台所様は混乱なされておりますので、お返事はもう少しお待ちください」
「ははーっ」
伝令はようやく解放されるのかという安堵感を露わにお福に平伏し、そのまま逃げるように出て行った。
伝令がいなくなると一転、お江与が弱気な表情を見せる。
「…お福、わらわはどうすればよいのじゃ?」
「大御所様と上様の葬儀をされるという以上はやむをえませぬ。駿府に出向くしかないでしょう」
「その後はどうなるのじゃ? 次の将軍は?」
「……」
「わらわは忠輝の将軍位など認める気はないぞえ」
「それは私も同じ考えでございます。ただ…」
「政宗に対抗しやる者が関東方にはおらぬ、ということか」
「佐竹殿、上杉殿あたりになりましょうか」
お福はそう答えるが、あまり見通しは明るくないと思っていた。
佐竹義宣は無能ではないが、堅すぎる部分があるから硬軟織り成す政宗には対抗しがたいように思えた。また実際、20年以上前の話ではあるが政宗と直接対決して負けていることもあるから、あまり期待はできない。上杉景勝、直江兼続の主従も関ヶ原の頃までは堂々としていたが、そこで大幅に領地を削られたことも効いているのか最近は覇気がないという話を聞いていた。天下への野心を露わにし、今まさに飛躍せんとする伊達政宗に対抗できるほどとも思えなかった。
(黒田や細川ももう一つ。島津は遠すぎるし、心中図れぬ…)
当然、譜代の臣は近年の幕府機構の円滑な運営のために能吏が増えているため、戦場をまともに経験している者も少ない。
(…待てよ)
お福は冬の陣の前のことを思い出していた。

その日、お福は駿府に出向いていたついでに家康の下を訪れた。目的はもちろん、竹千代の話をするためである。
首尾よく目的を果たし、とりとめのない話をしているついでに家康がふと話題を変えた。
「さてはて、もし仮に豊臣に勝てなかった場合、牢人共をどうしたものかのう」
「そのようなこと、ござりますでしょうか?」
「無論、負け戦をするつもりはない。が、ままならぬこともあるのが戦というものじゃ。わしが死に、大坂方が残るとなれば、秀忠が戦経験の豊富な真田や後藤(又兵衛基次。史実通り5月6日の道明寺の戦いで戦死)に勝てるかどうか…」
「その場合、伊達様がおられるのでは?」
家康が目をすっと細めた。
「政宗か。確かに奴なら勝てるかもしれんのう。だが、奴は大坂方だけでなく、江戸まで飲み込んでしまうかもしれん。わしが生きているうちに徳川の権力が絶対のものになれば奴は素直に従おうが、そうでないと見れば奴がどうなるかは見当もつかん。佐竹や上杉でも勝てんだろうしな」
「……」
「お福、もしそのような場合になり、秀忠が迷ったり成す術のない状況に陥った場合には左近将監を勧めよ」
「左近将監?」
お福はその官位が誰のものであるか、一瞬思い出せなかった。
「立花宗茂だ」
「立花様…」
「あの男も真田同様に生きるのは下手だが戦の巧さはあの安房守(真田昌幸)ですら凌駕しよう。忠勝がおらぬ今となっては日の本一といってもよかろうな。この戦が無事終わり、平穏に終わるのなら奴は10万石程度で復帰させるのがよかろうが、もし揺り戻る羽目になったなら…」
「なったなら?」
「左近将監に50万石与えて、乱世の徳川を任せるしかない」

駿府に戻った後、お福は秀忠に報告に行った。とりとめのない話をした後、お福は不意に人を退けることを願った。それが許されると、家康が感じていた不安を口にする。
「父上が亡くなられた場合か…確かにわしでは大坂の真田らを封じることはできないだろうのう」
「その場合はいかがなさるのでしょう?」
秀忠は腕を組む。
「いざとなったら左近将監に50万石でもくれてやって、大坂を落としてもらうしかなかろうな。そのために捨扶持を与えて召抱えているのだから」
「50万石?」
お福は驚く。期せずして親子の認識が一致したからだ。
「しかし、50万石で大坂城を落とせば…」
「もちろん更に加増せねばならん。100万石になるかもしれんな。だが、筑前守(前田利常)や陸奥守(政宗)に比べれば、左近将監は強くなっても裏切る心配はない。領国経営に失敗する可能性はあってもな」

お福は、家康、秀忠の話をお江与に話した。
「左近将監か…」
お江与は二度ほど頷いた。
「ご存知なのですか?」
「わらわが秀吉様のところにいた頃、会うたことがある。東に本多忠勝あれば、西に立花宗茂ありと秀吉様は言うておられた。確かに左近将監なら律儀さでも信用できるし、伊達政宗にも対抗しうる」
「ならば…」
「うむ…葬儀に出た後、左近将監を我が陣営に加えるのがよかろうな…」

立花左近将監宗茂は伊達政宗と同じく永禄10年(1567年)の生まれである。
かの立花道雪に才能を見込まれて婿養子となり、その見込みにたがえることなく島津との戦いで活躍。齢20歳にして豊臣秀吉から「武勇忠義は鎮西第一。東に本多忠勝あれば、西に立花宗茂あり」と評価され、主家筋の大友家から独立した柳川13万石の大名に取り立てられた。
だが、関ヶ原の戦いではその豊臣家に対する筋から西軍についたことで運命が一変した。
宗茂(注:この頃はまだ宗茂とは名乗ってなかったらしいが、便宜上宗茂にする)にとって悔やまれるのは関ヶ原の戦いそのものに参加することができず、大津城を攻めていたことである。その間に関ヶ原の戦いが終わったのは主力格としての働きを期待され、自身そのつもりであった宗茂には痛恨であった。だがもちろん、宗茂もその程度で諦める器ではない。合戦後に毛利輝元に対して大坂城での決戦を勧め、これが容れられれば徳川家康に対して逆転する可能性もあった。
だが、輝元がこれを拒否したため、やむなく柳川に戻り、籠城したものの結局降伏して改易された。皮肉にも宗茂に対して一番高い評価を与えていたのは徳川家康であり、宗茂を関ヶ原の戦いに参加させなかったという理由で大津城主京極高次は落城されて敗走することしかしなかったものの加増されている。
徳川家の宗茂に対する評価はその後も変わりがなかった。いや、宗茂ほどの人物が浪人しているのを見逃すほど周囲は節穴ではなかった。宗茂は流浪の身ながら各地で厚遇を受け、その後、徳川秀忠が召抱え、夏の陣の時には3万5千石を有していた。

注:尚、正史では夏の陣の後、旧領柳川に復帰して、関が原で改易しつつ復帰した唯一の大名としても名を残すことになる。

夏の陣にも宗茂は参加していたが、それほどの兵を有していたわけでもなく、遊兵と化していた中で本領を発揮することなく撤退に同行していた。

6月1日。
駿府城で徳川家康、秀忠父子の葬儀が行われた。
そこには喪主として振舞う松平忠輝のほかに、家康の九男徳川義直の姿があり、そして江戸から駆けつけた徳川秀忠の二人の息子竹千代、国松の姿もある。
もちろん、辛うじて天王寺・道明寺の戦いを逃げ延びた徳川譜代の姿もあったが、藤堂高虎や多くの有力大名の姿はない。そんな中で、秀忠の旗本格として奮戦していた立花宗茂は葬儀の中に参加していた。

その5

2009.10.27 - 戦国終わらず
5月20日、大坂。
真田幸村は戻ってくると、まず毛利勝永に会いに大坂の屋敷に向かった。
ちょうどその時、勝永は土間の裏で老人と話をしていたところであった。
「…真田殿?」
隠し部屋ではあるが、外の声などは入ってくるつくりになっている。主人は私用で出ているという入口の者の声と幸村のやりとりが明瞭に聞こえてきた。
「真田殿が来たとなれば会わぬわけにはいかない。御免」
勝永は老人に頭を下げ、部屋に戻って玄関へと向かう。
「いかがなされた? 真田殿」
「おお、豊前殿。おられたのか」
「申し訳ござらぬ。囲碁が白熱しておりましてな」
言い訳をして、屋敷の中に入る。
「条件でござるが、大方予想通りのものに落ち着きましてござる」
「それはようござった」
「ただ、伊達殿からは宇喜多殿だけでなく福島殿の大坂入りも認めるとのことであった」
「福島殿か」
勝永はやはりという顔をした。
福島左近衛権少将正則は豊臣秀吉子飼いの家臣であり、その戦歴は故人となった加藤清正と並んで豊臣家では双璧である。徳川方が豊臣を征伐するに際しては、その経歴から豊臣方につかれることを恐れた幕府が江戸留守居を命じられていた。事実上軟禁といっていい。
その正則が自由の身になるというのは豊臣方からすると一見ありがたい話ではある。
だが、問題は彼が宇喜多秀家との関係である。正則は石田三成と対立していたことから三成方についていた秀家には含むところがあるし、秀家も東軍についた正則を裏切り者と思っている。
実際関ヶ原では激しく戦闘を繰り広げ、互いの軍に数え切れないほどの死傷者が出た。
「二人が大坂で主導権争いなどすることが気がかりでござる」
「確かにそうですな。ただ、そのあたりは伊達殿ならやりかねないこと。我々が巧く収めるしかないでしょう」
勝永の言葉に幸村はうつむいて黙り込む。あまりに露骨な仕草なので当然勝永も気付く。
「…いかがなされた?」
「毛利殿。某は大坂を離れることにした」
「……」
「某は必ずしも豊臣家に恩を受けたわけではござらぬ。信州真田の武門の意地として秀頼公の誘いに応じたが、内府を討った以上その義理も果たした。あとは真田の実益のために残りの生を使いたいのだ」
「真田殿がそうお考えなら、私には止める術はござらん。真田殿の武運をお祈りいたすまで」
「すまない。だが…」
「だが?」
「身勝手甚だしいが、某の息子大助は大坂に残ると申しており、できれば勝永殿に引き取っていただければと思う次第なのだ」
「左様でございますか」
勝永はこれは素直に喜んだ。
「ならば、私の息子として育てることといたしましょう」
「すまない」
「して、大坂を出てどちらに参られるおつもりで?」
「仙台に行くつもりだ」
「やはり伊達殿と組むわけですか」
「幕府内での主導権争いで一戦あるやもしれぬ。その際に、経験ある某が必要だとのことだった」
「成功すれば三カ国くらいは固い。ただ、失敗すると…」
「父上と同じことになろうな。だが、それが真田の生き様なのだと思う」
「伊豆守殿だけでなく、息子大助殿も違う陣営に属させるあたりも含めてですかな?」
勝永の問いかけに幸村は無言である。だが、表情は明らかに「得たり」というものであった。

その日のうちに真田幸村は大坂を後にし、僅かな供回りの者だけを連れて駿府に待つ政宗のもとへと向かっていった。

その夜。
勝永は真田大助を呼び出した。
真田大助幸昌は16歳。父親の幸村がどちらかというと物静かな風貌をしているのに対し、こちらは若者らしい荒々しさを秘めている。だが、その中に確かに大器の片鱗があると勝永は感じており、彼を自分のもとで預かれるというのは政略云々を超えたところでうれしいことであった。
「そなたの父君は真田の名前をとどろかすため、伊達陸奥守の下へと行かれた。そなたは父君を追わずとも良いのか?」
「ようございます」
大助ははっきりと答える。
「父上は豊臣家に恩を感じていなかったと申されました。それは仕方ありません。しかし、某はこの2年の間秀頼公と共にし、豊臣家に恩を感じておりまする。戦国の世なればこのようなことが生じるのは不思議ではないと私は父から聞かされておりました」
「そうか。父君は私にそなたのことを頼まれた」
「私も毛利様の下で働きとうございます」
「そう言ってくれると有難い」
「つきましては…」
「む?」
「毛利様の名前を一字拝借しとう存じます」
「お、おう。私の名前か。ならば勝の字を与えよう」
「……」
大助は何やら考えている。
「いかがした」
「実は某、秀頼公から頼の字を頂戴いたしております。それで、どう繋げたものかと」
「ならば頼勝と名乗るがよかろう」
「ただ、秀頼公が我が主君であるとはいえ、毛利様の上の字を私の下の字にあてはめるのは…」
「しかし、勝頼となると武田を滅ぼしたあの勝頼公ということになる。私としては頼勝で全然構わぬが、そなたが快しとしないのであれば、頼永にするがよかろう」
大助は「我が意を得た」とばかりに顔を輝かせる。
「私もそれが一番よいのではないかと考えておりました。では、今後は真田大助頼永と名乗らせていただきます」
その時、玄関の方で騒々しい物音がした。
「毛利殿、毛利殿は不在か?」
「あの声は…大野殿か」
勝永は立ち上がり、玄関へと向かう。
大野治長が血相を変えていた。
「毛利殿、真田殿が大坂を出たというが真か?」
「そのように聞き及んでおります」
勝永の言葉に治長は大きく落胆した顔をした。
「ど、ど、どうすれば良いのだ? 真田殿が徳川につくとなると…」
「やむをえませぬ」
「しかし…」
「いなくなられた者を惜しんでも仕方ありませぬ。誰かが抜けたのであれば、誰か調略するのが戦国の習いでございます」
「そ、そなたには心当たりがあるのか?」
「ございます」
一転、治長は顔をぱっとほころばせる。
「おおお、そうかそうか。さすがは豊前殿。そなただけが頼りじゃ…」
「私だけでなく明石殿や長宗我部殿がおるではございませんか」
勝永の言葉に治長は露骨に嫌そうな顔をした。
「おぬしはそう言うが、明石は宇喜多殿の主宰だからな。宇喜多殿に前田殿が入ってくると、秀頼公がないがしろにされるのではないかが心配だ。ひょっとしたら、秀頼公を追い落として自分が大坂の大将になろうと言い出すやもしれぬ」
「そのようなことは」
と一応否定はするが、その心配自体は勝永もしていたのであるから、あまり否定もできない。
「恩顧の将で頼りなのは真田殿と毛利殿だけ。そう思っていたがゆえに真田殿の出奔は甚だ遺憾なことだ。で、そうそう。替わりに誰を呼ぼうというのだ? どうやって呼ぶのだ?」
「はい。和睦はなりましたが、対等の立場に戻った以上、大坂城の縄張りを再び張らなければなりません」
「うむうむ。確かにあのままではあまりにみすぼらしい」
「そこで諸将に広く大坂再建のための協力の呼びかけをいたします」
「なるほど。太閤閣下が作られた大坂の縄張りを再び行えるというのは名誉なことであるな」
「はい。これを機にその者を抱き込むことができれば大きな力となるものと存じます」
勝永は満面の笑みを浮かべていた。

5月24日。
伊勢・津城。
「父上ーっ!!」
藤堂大助高次が天守をドタバタと走っている。そのまま城主・藤堂左近衛権少将高虎の居室へと飛び込んだ。
「何じゃ騒々しい」
「父上、大坂から城の縄張りを一新してほしいという誘いが来たのは真でござるか!?」
「よう知っておるのう」
「そ、それで父上はそれをいかがなされるおつもりか?」
必死の形相の高次に対し、高虎は呆れたような冷静な顔で答える。
「名誉なことである。喜んで承る返事を出したところだ」
「何故でございますっ!?」
「そんな大声を出さずとも聞こえるわい」
「誤魔化さないでくださいませ! 我ら藤堂家は徳川様より多大なる恩を賜ったではございませぬか!」
「うむ」
「それを、敵方である豊臣方の大坂城を再建するなど…この高次悔しゅうてなりませぬ!!」
「だからそう大声を出すな」
「父上っ!!」
高次は父親であろうと今にも斬りかからんくらいの表情である。高虎は溜息をついて宥めるように言う。
「良いか高次。大坂城は太閤殿下が精魂込めて作られた城。それを再建する役目というのは大変に名誉なことじゃ。それをこの藤堂高虎に任せるという。これ以上の誉はない」
「それとこれとは話が」
「黙って聞かぬか。おまえの言うことは分かるが、わしは終始徳川様に仕えていたわけではない。以前は小一郎様(秀長)にも仕えていたことがあるわけである。わしはあくまでわしを信じて使ってくれるもののために誠心誠意をもって仕えるのであって、大恩を賜ったといえども無条件にその息子に従うつもりはない。いや、そもそも今のままでは息子に仕えるのかどうかすら怪しい」
「…伊達様でございますか」
「そうじゃ。伊達陸奥守と上総介が徳川家を牛耳ってしまうやもしれぬ。そうなってしまえば徳川様の考えは全て水泡に帰すではないか。そのとき、傀儡となった徳川家に唯々諾々と従うのと、一時は裏切り者とののしられようと豊臣方に馳せ参じて徳川家をあるべき姿に戻すのとどちらが忠義じゃ?」
「ううう…」
高次は迷った様子で唸り声をあげる。高虎は舌を出した。
「まあ、そんな殊勝なことを考えているわけではないが、とにかく徳川様に仕えたからといって短絡的に徳川のみに仕えるのがよいというほど事は単純ではないということだ」
「ですが、父上は太閤殿下みまかりし時にはいち早く旗幟鮮明を明らかにして信用を勝ち取ったと聞きました」
「あの時は役者が出揃っておった。だから、誰につけばいいか明白だった。今は違う。わしの目にはまだ役者が全員で揃っておらんように思える。少なくとも全員が出揃うまで、あれこれ旗幟鮮明にするのは賢くない。今は適当にのらりくらりやって、その時が来ればまた明白に仕える者を選ぶべきだ」
「分かり申した…」
高次は不承不承という様子で頷く。
「ですが、大坂城を再建するというのは豊臣方につくということにはなりますまいか?」
「わしは名誉であるから引き受けるまでだ」
高虎は答える。
「無論、大坂の豊臣秀頼公はまだ若いから将来を見込める。恩を売っておくのも悪くはなかろう。ただ、あくまで今回は名誉であるから引き受けるだけで即座に秀頼公に仕えるということにはならぬ。それに…」
高虎の目が妖しく光った。
「作る者には壊す方法も分かろうものだからな」
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