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源九郎義経を考える

2008.02.27 - 天体と歴史
本当は昨日Yahoo!のトップページに本能寺の変についてのことが出ていたので、本能寺のことを書こうかなと思っていたのですが、頭の中で収拾がつかなくなったので、代わりに超久々に義経のことでも書こうかなと思います。

義経といえば世間一般的には悲劇のヒーローという認識で定着しているわけですが、実は個人的には結構疑問に思っている部分があったりします。というより、歴史雑学の権威みたいな人も、かなりこの人については固まった固定観念を基に話をしているきらいがあるのですが、それって実際のところ逆に変なんじゃないのかっていう気がするところがあるわけなんですね。

その最たるものが前半生だろうと思うわけですが…
義経は平治の乱で常盤御前が清盛に降伏して後家みたいになったこと、加えて義経-当時は牛若丸だったわけですが-のみ乳児だったということでひとまず清盛のところで育てられたそうです。で、その後常盤御前が一条長成に与えられたときにはそこについていって、またそこで育てられたとなっております。このあたりも推測の仕様はいくらでもありますが、とりあえず良しとしておきましょう。
その後鞍馬寺で己が出自を知り、打倒平家の情熱に燃えて色々思案したあげく平泉に逃げた、というのが一般的な牛若丸のイメージです。その途中なのか、あるいは鞍馬寺にいるころに弁慶と出会ったという話になっているわけですが。

で、この平家打倒のために平泉に向かったというのが、よくよく考えると本当なのか、という気がするわけです。
というのも、1180年に兄貴で嫡子の頼朝が兵をあげたので義経もそこに馳せ参じるわけですが、この時義経が連れていった兵卒というのはものの数にもならない程度というのが通説になっております。しかも、その大半は藤原秀衡に与えられたものという話。
義経が平泉に向かったのが幾つくらいだったか正確な資料はないものの、18くらいになれば完全に坊さんにさせられていた可能性があるので、おそらく16か17くらいと見るのがいいでしょう。で、1180年の時義経は数えなら22歳ということになりますから、最低6年くらいは平泉にいることになる。
平家打倒のために平泉に行ったのなら、6年後にいざ立ち上がったとき部下が数えるほどしかいないというのはどういうこと、という疑問が当然のごとく湧きあがってくるわけです。
義経はよっぽど人望がなかったのでしょうか(後年の頼朝との戦いを見ているとありえない話ではないが)。それとも自分は無敵だから自分だけ鍛え上げれば大丈夫という呂奉先みたいな思考の持ち主だったのか。

まあ、常識的に考えれば、そんなことはないということになり、おそらく義経は別の目的で平泉にいたのだろうということになります。では別の目的は何かということになるわけですが、まずありうるのは京で政変が起こった際に出自からして危害を加えられる恐れがあるので遠い平泉に逃げてしまおうという考え。
義経は京育ちの伊達男なので、兄貴の頼朝みたいに伊豆の田舎に行くのは嫌だろうということで京都ほどではないにしても文化の中心地になっている平泉に行きたいと考えるのは無理のない話です(+養親の一条長成が奥州藤原氏と縁戚関係にあったらしいことも作用していそう)。
ただ、この点もちょっと疑問があるわけで義経が自己の意思で勝手に行動をしていた場合、一応名目上彼の養親になっていた一条長成と母親の常盤御前がどうなるかという話になります。元々の出自からして危険分子であることは間違いないでしょうから、勝手に逃げたとなると当然二人には何らかの問責などあってしかるべきでしょうが、そんなものがあったという話はありません。
じゃあどうなるかというと結局のところ、平家の承諾を得て平泉に行ったと考えるのが一番自然でありましょう。もっと言うならむしろ平家と藤原氏の側で合意がなされ、それに従って出て行ったのではないかというのが一番ありうるのではないかという気がしています。
養親が奥州藤原氏と関係があり、その奥州藤原氏は八幡太郎義家のおかげで繁栄することができたので義家の末裔が来るのは藤原氏側にとっても悪くない話です。平家にとってもずっと手元にいた義経なら特別害もなかろうということで友好的に送り出されたと。
それなら義経が特別平家打倒の準備をしていなかったことも分かりますし、また、秀衡が部下を与えて送り出したのも理解できる。1180年当時は形のうえでは藤原氏は平家との同盟関係を継続させていたわけですから、匿い続けるのは得策ではないし、といって縛り上げて提出するのも源氏が勝った場合には困る。結局、ある程度の数の兵を与えて送り出せば平家側には「逃げました」と弁明ができるし、源氏側には「手助けしてやったじゃないか」と言えるわけで。

ということで、管理人は義経に平家打倒の意識はあまりなかったのではないかと考えているわけなのですが、いざ出されてしまったからには向かわざるを得ないということで兄頼朝の下へ急ぐわけです。しかし、これが非常にタイミングが悪いことになってしまったようです。
というのも、義経が頼朝と合流したのは富士川の戦いの翌日というのが定番となっています。富士川の戦いというのは平維盛が10万の軍勢を率いて討伐に向かってきたのを富士川付近で撃破した(というより士気の低かった平家側が自壊したようですが)わけですが、結果的に勝ちはしたものの、相手が10万というのはやはり相当肝を据えてかからなければならない話であります。
その苦しい状況を供にしてくれた側近らに対し、頼朝は「ああ、おまえ達は何と信用の置ける奴だ」と深い信用を抱いたことは想像に難くありません。
翻ってその翌日にやってきた弟はどうでしょうか。
普通は「こいつ、近くで様子を見ていたんじゃないか」と思うものでしょう。そう思わなかったにしても生死を供にしたわけでもないし、一度も見たことがないしということであまり信用しなかっただろうことは想像に難くありません。たとえものの数にならなくても2日早く合流していれば(まぁ、それはそれで疑われた可能性もあるけど)義経も深い信任を得ることができたかもしれません。タイミングの悪さ極まりないといえようものです。
後年、梶原景時が義経を讒言した際に、頼朝は景時の言を容れているわけですが、一説によると石橋山で敗北し逃げる頼朝を捕捉しながら「お助け奉る」と言った景時と、宝くじが当たった翌日にやってきた弟とどちらが頼朝にとって信用に値しようか、言うまでもありません。水は血より濃くなることもある、とまあそういうことでしょう。義経だけでなく、範頼あたりについてもあてはまることだろうと思います。

続きについてはまた今度。
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Comment

無題 - yoshi

2008.02.27 Wed 23:49 URL [ EDIT ]

義経も沖田総司も何故か美男子にされますよねー。
やっぱり、昔から「ふじょし」が騒いでたんでしょうかねー。
実際は、かなりシモブクレっぽい気もするんだけど。。。

義経は実際はどういう人物だったのでしょうねー。
北斗の拳で言えば、一見するとトキに見えるけど、
本当はジャギだった、みたいな感じもします(笑)

>yoshi様 - 川の果て

2008.02.28 Thu 16:06 URL [ EDIT ]

肖像画が一応あるにはありますよね。あれは何か冴えない感じですけれど、京都から平泉と文化の中心地にいたんでかなりお貴族な人間だったのではという気はします。

義経がどんな人物だったのかというのは想像の世界以上には広がらないでしょうけれど、鎌倉政権で受け入れなかったのは地方の人が東京から出てきた人に対して含むところを持つなんてのがありそうな気はしています。
ジャギみたいなのだったってのもなんか納得はできるのですけれど(笑)

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