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2011年は勝てるのだろうか…?
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mixiで意見交換等をしていて、ふと思いついた話題なのですが。
日本人は伝統的に割と行儀のいい民族だという話があって、そのあたりは昔の外国の人の文献にも出ていたりします。
で、実態はさておき最近の日本ではそれがなくなったという風に嘆かれております。
その、昔は行儀良かったのが今はなくなったのが何故かとかいうのを考えているうちに、どうも「最近の日本人は昔ほど執念深くなくなったところにあるのでは」みたいなところがあるように感じるようになってきたとまあそういうことなのです。
どういうことかといいますと、日本人には昔から先祖代々の恨みを晴らすべしとかそういうのが強いわけで、例えば源平交代論なんかは片方が勝つと必ずもう片方が次は勝つというくらいに執念深い話。
そして、日本の執念深さというか恨みのレベルが他所よりも強烈な気がするのは、もちろん中国とか西洋にも恨みの話とかはあるわけですけれど、日本に比べると程度が弱い気がするんですね。例えば、西洋なんかはキリスト教に言うべき赦しの文化なんてのがあるわけで、中国なんかは士大夫と庶民みたいに別れていて例えば庶民の恨みが士大夫というのはあんまりありません(科挙に通る前の男と馴れそっていた糟糠の妻が、男が科挙に合格した後に捨てられて、それで恨みを。みたいな話はありますけどね)。
しかし、日本の場合は四谷怪談なんか見ても分かるように、恨み骨髄まで達したら主人だろうと何だろうと復讐してしまいます。
で、ある意味、こういう恨み骨髄に達するという意識があるからこそ、逆算して昔の日本には恥の文化とかそういうのがあったのではなかろうかとそういう気にもなるわけですね。誰だって、呪われて殺されるかもしれないと思うと他人に悪いことなんてできません。
足利高時のように、先祖代々の悲願を達成できなかったということで自ら切腹して、「自分はできないからもう三代延長する」みたいなことをした人もいるわけで、そんな恐ろしいことになるかもしれないと考えるとオチオチいじめなどもできません。
ということで、子供の頃から「この恨み、末代まで忘れまじ」というようなことをしっかりと叩き込むことが、ひょっとするとよりよい日本を形作るために必要なのかもしれない、なんてことを考えたりしました(笑)
どうなんでしょう。知人の中には戦後のアメリカ式教育なんていう人もいますが、私はあんまり授業中の態度がよろしくなかったので何とも言えません(笑)
ただ、日本人は遼東忘れずとかで対ロシアの情熱を燃やすとか相当な執念深さというか我慢強さみたいなのはあるような気はします。
とはいえ、確かに個人個人が窮屈さを感じたり、地域社会のルールに縛られることがなくなったというのはいいことなのかとは私も思います。
無題 - パレット
こんにちは。
日本人の行儀の良さが無くなってきたのは欧米ナイズドされたからでしょうか。
日本の執念深さというのが風土気候に合ってジメジメしているのと関係あるのかどうかは分かりません。
今の日本は軟弱なような気もしますが、それでも民主主義になってからは人権の尊重など法律の整備によって個人が生き易い時代になりよかったなとも思います。