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2011年は勝てるのだろうか…?
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物事にはいい悪いのタイミングがあります。
例えば民主党の小沢元代表の秘書が逮捕された時に「国策捜査だ」なんて話があがったりしたというのはまさしくタイミングがどうこうという問題があったからでしょう。私は当時も今も「そんなに慌てるタイミングでもないんじゃないの?」というような気がしていて、実際そういう方向になっていますけれど(ま、小沢氏自身は代表降りたけど)。
で、タイミングといえば裁判員制度導入と並行して発生した足利事件の一連の話。
再審開始決定について、裁判所がじっくりとした事実検証とか原因究明とかせずにあっさり開始決定したということに菅家さんや支援者は不満を抱いている、ということのようです。ただ、個人的には裁判員制度とか踏まえると仕方ないような気もします。
というのも、ここで過去の裁判のやり方とか蒸し返して裁判官批判が強まったりしたら、そうでなくても及び腰な裁判員が更に恐ろしいものになりかねないわけですからね。
もちろん再審決定にそうした意向が入っているのかというと多分入ってなくて「さっさと終わらせてなかったことにしよう」みたいな意向が働いているのだろうとは思いますが、現実には将来的な裁判員とかの責任とかにつながりかねないということを考えると、過去をとことん糾弾するというのもよろしくないのではないのではないかと。
冤罪防止のために取調の可視化(もっとも、編集すると逆効果になるという話もありますし、どこまでやるのかというのがまた問題になりますけど)とか色々提案されていて、今まではこのあたりの議論があまり深まることはありませんでしたけれど、今後裁判員の責任感とかに働きかけていけば、結構そのあたりが進むのかもしれませんね。
こんにちは。雨降っていますね。
裁判員制度が始まり、私はやる気でいます。
まだ招集は来ていませんけど、責任ある国民の一人としての参加をするつもりです。
映画「ア・フュー・グッドメン」で軍事法廷を描いていますが、検事や弁護士という世界のすさまじさを垣間見るような気がします。
そんな専門家にだまされないように、検事や弁護士の手腕を見てみたい気がしています。
いつも行政や司法に任せっぱなしで、無関心、無責任というのは一番いけないかなと、一市民としては思っていますけど。ハリウッド映画のようにはいかないでしょうね。
確かに始まった頃のDNAはそれのみで有罪とするのは難しいと学者からは批判がありましたからね。一応、DNA結果をもとに調書も作られたんだから、調書も無効だという話になっているみたいですけれど。
not guiltyな訳ですから、彼が絶対犯人ではない、ということはないのは確かにそうですね。だから本人も完全な無罪を求めて事実認定とかしろと主張していたみたいですけれども。
最近では自供はコロコロ変わるものですから、全部状況を見せてどのあたりからどう翻意したのかとかそういうのを見せるのは無罪だけでなく有罪認定に役立つところもあるかもしれませんね。
サッカースタイルについては、とりあえずマジメな戦術論とか代表批判論とかは誰も期待していないらしいということは分かりました(笑)
一部では裁判を経験したことのある人は裁判員に前向きだとかいう話も出ているみたいですね。仰るとおりで全部上任せにしていて、その上を批判だけしているというのも変な話で自分達からも参加していかないとという部分はありますよね。
ただ、私は刑事事件の傍聴とかしていたことはありますが、弁護側も検事側も書類をそのまま朗読しているだけであまり強く印象に残るものはありませんでした。
といって、シンプソン事件みたいな劇場型裁判になってみ困りますけれど…
一応 - nobuta
サッカーブログとしてのアンケートは投票していませんが、今のままで構わないと思います。と言うか、「構わない」という文言は運営者に対してとても失礼なような気がしますけど(笑)
さて、足利事件ですが、被疑者であった彼の供述調書は、最高裁において「信憑性がある」と評価されています。それからすると、DNAが最終的な証拠としてグレーだから釈放され冤罪事件みたいな感じになっているのは不思議です。どのマスコミも調書に対しての評価は皆無ですからね(苦笑)。
ちなみにDNAも別の人のものが混ざっていただけで、被疑者と一緒のも付着していたというのが事実のようですし・・・実際は黒だったりするかも知れませんよ。
だいたい、DNAが唯一の証拠で戦っていた事件でもなさそうですしね。
もともと、日本の裁判制度は、「自供ありき」というのが昭和の時代から続いてきていたわけですし、その理由は、昔の日本人は情と人情があったから、情理を尽くせば心を開くというのがあったからに他なりません。
今の時代、日本人に情と人情があるとも思えませんから、供述などは無視して(可視化)、状況証拠だけで死刑まで持っていくのが理想かもしれませんよ・・「カレー事件のようにね}