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2011年は勝てるのだろうか…?
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福岡県のいじめで、加害者側が被害者の自殺後に別の生徒に対して虐めを続行していたということが問題になっています。憤慨しているブログなども多数見かけます。
まあ、そもそもいじめなどがあった後、加害者がやめているのかというとそうでもないでしょうし、今回はそのあたりがたまたま表に出たということなんじゃないかという気はします。もちろん擁護する気はないですが、だからといって怒りに任せて非難するのも趣味ではなく…
似たようなものがあるとすれば魔女狩りみたいなものですかね。「魔女を一人成敗したけれど、まだどこかにいるかもしれない」というそういう心理状態に似ているのかもしれません。誰かを虐めたくてたまらないとかそういう資質みたいなのもあるのでしょうけれど、集団ヒステリーとかそういう要素も大きいんじゃないですかね。
で、いじめの原因については
いじめる側は無関心?(あれこれ随想記)
日本の「虐め」の原因 ~急性アノミーの恐怖~(破壊王子流勝手日記)
に興味深い話などがありますが…
ただ、反面そんな特別大層なものでもないような気もします。
要は人間というものは生物である以上いつか死ぬ、しかし人間は感情があるので死ぬのが怖い(とにかく不安がある)、死ぬのが怖い(不安がある)から死(不安)を具現化する何かを憎むことで心身の平穏を保ちたいという深層心理が働く…
というようなのがあるわけです。こうしたのが人類発祥以来ず~っと続いていることであります。
なんで、例えば異端審問とか、えた・ひにん制度とか、カースト制度とか合法化された虐めなんてのは昔から沢山あったわけです。前のエントリでも触れたようにユダヤ人なんかもいつもいつも虐められてきたわけです。
まあ、それらは特定人に対するいじめですが、別にそういうのでなくとも西洋では魔女狩りなんていう不特定多数に対する突然発作的な虐めなどがあったわけです。日本にも村八分というこれまた不特定多数に対するいじめがあったわけです(村八分は虐められる側に原因があるから集団から完全隔離されて仕方ないというのなら、別に今のいじめだって「OK」となります)。
パワハラとかセクハラとか色々ありますけれど、要は古今東西・どんなところでもいじめなんてのはあるわけです。国家代表のチームであってもいじめみたいなのはあるわけで。
である以上、学校で虐めが起きようと別に不思議はないでしょうし、そんなものは昔から起きていたんだろうと思います。じゃあ、昔はどうしてなかったのかというと単純なことで、昔はいじめを苦に自殺しても誰も取り上げなかったので、一見してないように思えただけなんじゃないかと思うわけです。未成年者の犯罪が件数としては減っているけれどセンセーショナルに報じられるから、最近の未成年者はいつも犯罪をやっているように見えるのと似たようなものではないですかね。
ま、現代的という観点からすれば、現代社会が特定コミュニティやグループに対する差別意識を排斥しているというのはあるのかもしれませんね(カースト制とか特定の病気を理由に差別することはできなくなった)。誰か特定の人間が特定のコミュニティに所属しているがゆえに不当な偏見を受けることはなくなったけれど、替わりに不特定に誰かが選ばれるというメカニズムになったのかもしれません。現代社会はチャンスが誰にでもあるかわりに不当なリスクもあるという、その程度のことなのかもしれません。
それを殊更大きく取り上げて、「現代は昔と比べて」とか「社会現象としてどうこう」なんて大きく捉えるのも何か違うような気もします。
で、基本的に誰にでもある心理状態に根ざすものである以上は虐めなんて根絶できるはずがありません。地震がいずれ起きるのと同じようなものです。
だから、虐めをなくすなんて無意味なこと(それは地震を予知でき、防止できると信じることに類似する)を考えるより、起きてからどうするかとかそういうことを考えるべきなんじゃないですかね。というより、起きることを端から前提とした活動(始業式の際に「いじめ110番」とかそういうのの紹介を校長に義務づけてパンフレットを配るとかそういうこと)でもやった方が100倍効果的だろうと、私は思いますけれど。
おっしゃるような感情は人間には確かにあります。ただ人間としてそういう劣情を自分で否定できるように成長してるかが大切なのではないでしょうか?
私はいじめる側の輩の精神構造に重大な欠陥があると思ってます。
無規範・無連帯になると確かに自衛隊にでもいれるか、無人島にでも放置するかしないと中々元には戻らないというのはあるのかもしれませんね。
こういうのでチマチマ変えてもほとんど効果がないでしょうね。
意識が行動に結びつくかということで成長しているかどうかが問われるということですね。
確かにそういう部分でリミッターが効くかどうかは意義があることだと思いますが、現実として社会のいたるところでいじめがあるのも事実で、これを欠陥があるからとすると欠陥がほぼ常態ということになりかねませんし…
劣情否定については、それはある面成長の証なのかもしれませんが、嫌悪の感情を抑えるのが望ましいとすると、逆に虐められる側が感情をむき出しに出来ずに圧迫され、結果追いつめられてしまうマイナスの効果もあるのでは、とも思います。
「いじめで自殺」って今すごく報道されてるし、
ブログでもヒートアップしてますよね。
でも川の果てさんが言われるように
「イジメをなくす」のは絶対に無理な
ことだと思うんです( ̄ω ̄|||)
大人なってもあるわけですしね。
イジメはしませんが、ゼシカも
「アイツウザイ」って思うことも
多々あります。
人が集まれば、中には入っていけない
人も出てくるわけで。。。
今の教育現場がそんなに連鎖して自殺するほどのイジメを受けているのか
ちょっと見て見たいです。
ゼシカの時も、牛乳をかけられたり、
イスに押しピンが置いてあったり、
シカトされてるコがいたわけで。。
騒ぐから連鎖して自殺するんじゃないか?
って思ったりなんかもします。
イジメたコとかは、マジで戸塚ヨットスクールで鍛えなおししてもらったらいいんじゃ
ないでしょうか。
全然関係ないんですけど、カウンター
10000超えてますね。
オメデト!! ヽ(`・ω・´)ノ イェイ!!
11111ポッキーキリバン踏もうと昨日から
待ってましたけど、遅かったです。
o( _ _ )o~† パタッ
虐めはホント根絶できるはずないですよねぇ、悲しいことに。私も小さい頃虐められた事あるし、逆に虐めた事もあります。最近ちょっと虐めのスタイルが度を越えている気もしないでもないですが。中学を卒業すれば、いじめっ子も視野が広くなって虐め以外でやりたい事が沢山出てくる筈だし、なんとか中学までは早まらず、嵐が通り過ぎるのをじっと耐えて欲しいな、と思います。ただ、大人と言えど子供がいる親にとっては深刻な問題でしょうね。
結局のところは社会の縮図が学校で展開されているだけですからね。私にしても、「あいつ嫌な奴だ」とか思うと相手にしないとか無視するなんてのはありますしねぇ。
学校のいじめだけ取り上げても無意味といいますか逆効果なように思います。
「虐め」がある、という前提で物事を考えた方が解決策には近いような気がするのですが…
知るがゆえに模倣したり連鎖的にってのはあるでしょうね。ただ、知る術がないと自殺したとしても闇に葬られるわけでこのあたりをどう見るかは難しいことのような気がします。
11,111をお待ちいただきありがとうございます。
カウンターが奇麗に並んでいると確かにいいですよね。でも、キリ番をGets!されても特に何か出るということはありません(笑)
なくなるはずないんですよねぇ。聖人ばかりの楽園を作るような話ばかりされても正直どれだけ意味があるのかと思います。
教育に問題があるんだとすれば、生徒の視野を広めるような努力をしていない、ということがあるかもしれませんね。ある程度広い視点に立てば「虐められた経験」のある人は他にいるわけですし、そうすると「自分だけじゃない」と思えてきて早まった行動をせずとも済むでしょうし。
同じことは虐める側にも言えますし。
親にとっては確かに大変な問題でしょうけれどね。
戸塚校長 - 破壊王子
福岡県の連中がアノミーならば戸塚ヨットスクールに入れてみるといいかもしれません。
アノミーは無規範とともに無連帯を呼びます。
いずれにしろ虐めは差別と同様に人間の宿痾ですから対象療法では根絶は出来ません。