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- 2009.05.06 三国志を変な方向に追求する
- 2009.04.13 号す
- 2009.03.27 サムライとは
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小十郎神社さん、ってとこなんでしょうか(笑)。
昨今の戦国BASARAブームで護国神社の奉納絵馬とかにまでBASARA政宗の絵を描いている人が増えているんだそう。中には「不謹慎だ」と怒っている人もいるなんて話。
まあ、でもどうなんでしょう。虚構だろうと何だろうとその人のいるところに行って何かするってのはそれはそれで結構なことだと個人的には思うんですけどね。
歴史人物萌えってのはあまりに軽すぎるとかイカンという考えとかも理解できなくないですけれど、かの孔子様は、「歳をとったせいか最近周公旦の夢を見なくなった」なんて愚痴をこぼしていて、これは思慕が募るといえば聞こえはいいですけれど、ある意味「周公旦萌え」なわけですからね。
あとは昨日の吊り広告では「直江兼続に見るリストラ管理術」みたいなタイトルが経済誌の見出しとして出ていて、「直江兼続は米沢に減封されたときリストラしなかったはずだが、何でこういう誤解を招きかねないタイトルつけるんだろう」って思った次第。
絵はないけど、歴史にかこつけて自分に都合のいいことを書いているだけってのはビジネス書とかでも恒常的にあるわけ。調査不足なのか故意なのか知りませんけれど、そういう風に意図的に他人を変な方向に導こうとしている歴史を呈示するよりかは嬉々として政宗様の絵を描いている女性の方が遥かにマシなんでないかい、という気がするのも事実であります。
だからまあいいんじゃないの、としか言いようがないですかね。文句を言う人の都合があるのと同様に、書いている女性たちにはその女性たちの都合があるわけで、それは結局同じではないのということで。
ちなみに私は武将によって乗り換えるという非常に浮気な奴でありまして、政宗はBASARA派、お市も無双よりはBASARAの方ですかね。ただ、長政は戦国無双の方が好きです。秀吉も無双の方がいいですかね。
藤堂高虎と蘭丸と孫市は婆沙羅派で、信長と謙信については天下人派ですね。
そして常に中年以上で書かれる島津義弘は何だか可哀相という気がしております(笑)
下の2つが分かった人は相当マイナーです。
あ、もちろん絵心がないので、奉納絵馬に絵を書いたりはしませんけど(笑)PR
三国志ネタが続きますが、今日電車に乗っていたら、「三国志検定」なんてのの広告が出ていたんですよね。
三国志検定なんていうと、ネットとかの検定レベルだろうと思っていたわけなんですけれど、何かマジメにやっているみたいで、その受検料も1級は6980円になるそうで全くバカにならないレベル。
しかも、これが第2回ということで、第1回もあったのか! と二重にびっくり。
ちなみにその第1回の受検者は3300人弱だとか。これを多いと見るのか少ないと見るのかは微妙なところですが。
ただ、ご当地検定にしてもそうなんですけれど、1級になってどういうメリットがあるのか、ということを凡人たる私は考えてしまいます。中国史検定だとツアーとかガイドになれるとか何かしらメリットになりそうかもしれませんけど、三国志だけ詳しくてもねぇ。最近のゲームとか漫画とか小説なんかだとそのままだとありきたりすぎるということか実際の話とか無視して無茶苦茶なのに走ってるのもありますから、詳しいからコーエーが使ってくれるなんてこともなさそうですし(笑)
別に映画とかそういうのとは関係なく、あまりそういう話は出ないけど実は「こんな見方もあるんじゃね?」ってな話を。
1.関羽は実は匈奴出身?
三国志でもっとも人気のある武将の一人といえば関羽。
この関羽のトレードマークというと腰までの長い髭と、2m前後あるという長身。
でも、これって実は匈奴の人達と共通しているんですよねー。匈奴も代々長身の人が多いらしいし、体毛も濃いのが多いそうなので。曹操政権は匈奴の力もそれなりに活用しているし、関羽の出身地は現在でいうところの山西省というから、普通に匈奴の人達とかいておかしくない地域。
呂布がドイツ系かも(トイトブルクの森で負けたローマ部隊の一部が東へ逃亡したとか、匈奴に連れられたゲルマンの一部がいたとか可能性としてはある話らしい)、とかいう話はあるわけですが関羽についてはあまりそういう話もない感じですが、むしろ可能性としては関羽が匈奴系という方が可能性は遥かに高いと思えるわけです。馬に乗って強かったらしいというのも匈奴なら納得ですしね。
関羽が(当時で言うところの)異民族出身なんて言うとファンの人から吊るし上げられかねませんけれども。
2.劉禅がいなかったら?
これはJOOさんのところに「助けなくてもよかったのではないか阿斗」みたいな身も蓋もない話があったので、ちょっと考えてみたわけですけれど…(笑)
まず劉禅がいなければ劉封がゴタゴタに巻き込まれることもなくてそのまま後継者となった可能性が高い。これはおそらく異論のないところでありましょう。
ただ、現実問題として劉備自身が漢の末裔を主張してのしあがっただけに、それなのに養子であった劉封が皇帝になってしまったとなるとこれは非常にまずいといえます(もっとも、献帝が生存しているのに皇帝になったあたりで既にまずいといえばまずかったらしいが)。自らの正当性を突き崩しかねないと。
当然諸葛亮が劉備の遺言のように取って替わってたりしたら、これまたもっとまずいことになったと。
それを承知で劉備があんな遺言をしたということは、劉備の意図としては自分亡き後は地方軍閥でもいいという見方をしていたのかもしれません。結局諸葛亮と姜維の北伐で国力を弱めてしまって滅亡したわけですし。
少し話がそれましたが、以上のことからは、やはり劉禅は必要だった! という結論になります。彼がいなければ少なくとも劉備死後の蜀が正統を主張することはできないわけで、また劉禅が適度に賢明で国家の寿命を延ばしたりしていたら三国志が冗長な話になってしまって滅びの美学を体現することもできなかった。
文学的な三国志を作るうえでは劉禅はほぼ要求されたタスクを果たしているということになるのです。何という凄い男なのだ劉禅。
いや、だから劉禅を好きになるかというと全く別の問題ではあるわけですが(笑)
昨日、何気なく東京ドームの定員について調べ始めたあたりから、今まで知らなかった野球の観客動員の闇みたいなものに気付きました(笑)
とはいっても、巨人の55,000人が嘘だろうというのはもちろん分かっていたわけですし、80年代のパ・リーグの数千人とかも嘘だろうというのはもちろん分かってはいたんですけれどね。もちろん、立ち見さんがいたのかもしれませんし、あるいは霊視能力の強い人がカウントしていて、幽霊さんとかをカウントしていたという可能性はあるはあるかもしれませんけれど(笑)
ただ、東京ドームの55,000という収容人数そのものが間違いらしいというのはさすがにちと驚いたというのがありまして。もし、これが座席の数え間違いとか霊視能力の強い人がうっかり幽霊用の座席を数えてしまったとかそういう事情がなくて故意に行われていたということになれば、日本最大級の新聞系列のところが発表する事実的な数字が信用できない、ということになるわけでこれはさすがにのっぴきならない事態なのではという気もするわけです。我々は新聞のどの数字を信用すればいいのだということで(笑)
しかしまあ、これは戦いである以上仕方ないのかもしれません。
というのも、昔の中国史などを見ていると「号す」という言葉がありまして、例えばレッドクリフでおなじみの赤壁の戦いにしても「魏軍は80万ともいわれる大軍で5万ちょっと呉軍と対決した」なんていわれるわけですけれど、この魏軍の80万というのが多分「号す」というところでありまして、大体にして「何万人若しくは何十万人と号す」というのは実数はその半分以下だろうというのが相場だそうです。
まあ、その効果としては「相手は80万かー!?」と驚かせたり(実際呉では80万という数字に恐れをなして降伏論も出たわけですしね)、兵士のやる気を削がせるというのがあったのだそう。
ということで、例えば巨人軍も観衆が55,000と号することで戦いが有利になる、と考えていたのでしょう。
なので、これを「セコい」とか「メンツこだわりすぎ」とか批判するのは、彼らの勝負にかける意識というものを理解していないというより他ありません(笑)
まあ、号するなら+1万なんて微妙なものではなくて、80,000くらいと豪勢にいけばよかったのにという突っ込みは入れたくなりますが、それはそれ。数に頼りすぎていかんということなのでしょう(笑)
ちなみに世界の記録を見ていると、1950年のワールドカップの決勝リーグのブラジル-ウルグアイ戦(実は決勝戦ではなくてあくまでリーグ戦の一試合)では20万人以上とか、ボクシングのフリオ・セサール・チャベスあたりが野外で試合した時には延々と遠くまで立ち見の観客が出たとかで100万人以上いたかもしれないとかいう話もあるのだとか。
このあたりも「号する」ということなのでしょうなぁ(笑)
WBCの優勝会見でイチローが「サムライになれた」みたいな会見をしていたそう。
そういうのに一々突っ込みを入れるのを世間では「ひねくれ者」というわけですが、何となく「ではサムライとは何ぞや」みたいなことが気になったりしました。何とな~く分かるといえば分かるのですけれど、しかし正確な定義とかは分からないわけで。
そういう時の定番はやはりwikipediaであります。
wikipediaの「侍」に関するページ
う~む、ここでは「上流階級の武士」という非常に実も蓋もない定義になっております。
この定義に基づく限りは「サムライになれた」なんてこと自体まずありえないことで、元々サムライであるかそうでないかということになりそう。
例えば、小早川隆景の末裔である小早川毅彦氏なんかはサムライといっていいのかもしれませんが、その他にサムライと言って良さそうな選手やコーチは多分いないのではないでしょうか。これはサムライ・ブルーを名乗っているサッカーの日本代表にしても似たようなことが言えそう。
ということは、サムライ・ジャパンにしろサムライ・ブルーにしろ、何となく武士になりたくてそれっぽい感じを名乗っているという点では新撰組みたいな同好団体みたいなのが近いのかもしれません。
新撰組はそれをサムライと言っていいのかは別として最終的には士卒に取り上げられましたが、その先に待っていたのは破滅への道。あまり彼らを持ち上げたりするのはそれはそれで良くないのかも(笑)
あとはもう一つ問題となりうる点があるかもしれません。
というのも、日本国憲法は法の下の平等を唄っているわけですが、サムライを認めるということは、これは身分階級制度を暗に認めることにもつながりえます。つまりサムライは偉い、商人はダメであると。
これはいくないですね~。
アメリカではレッドスキンズというチーム名称が「原住民蔑視につながりうる」ということで改称のための訴訟が度々起きているそうですが、似た観点から「サムライがつくチーム名称は江戸時代の身分制を思い起こさせる」ということで訴訟を起こすべきかもしれません。
もちろん私はやりませんけれど(爆)