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2011年は勝てるのだろうか…?
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別に映画とかそういうのとは関係なく、あまりそういう話は出ないけど実は「こんな見方もあるんじゃね?」ってな話を。
1.関羽は実は匈奴出身?
三国志でもっとも人気のある武将の一人といえば関羽。
この関羽のトレードマークというと腰までの長い髭と、2m前後あるという長身。
でも、これって実は匈奴の人達と共通しているんですよねー。匈奴も代々長身の人が多いらしいし、体毛も濃いのが多いそうなので。曹操政権は匈奴の力もそれなりに活用しているし、関羽の出身地は現在でいうところの山西省というから、普通に匈奴の人達とかいておかしくない地域。
呂布がドイツ系かも(トイトブルクの森で負けたローマ部隊の一部が東へ逃亡したとか、匈奴に連れられたゲルマンの一部がいたとか可能性としてはある話らしい)、とかいう話はあるわけですが関羽についてはあまりそういう話もない感じですが、むしろ可能性としては関羽が匈奴系という方が可能性は遥かに高いと思えるわけです。馬に乗って強かったらしいというのも匈奴なら納得ですしね。
関羽が(当時で言うところの)異民族出身なんて言うとファンの人から吊るし上げられかねませんけれども。
2.劉禅がいなかったら?
これはJOOさんのところに「助けなくてもよかったのではないか阿斗」みたいな身も蓋もない話があったので、ちょっと考えてみたわけですけれど…(笑)
まず劉禅がいなければ劉封がゴタゴタに巻き込まれることもなくてそのまま後継者となった可能性が高い。これはおそらく異論のないところでありましょう。
ただ、現実問題として劉備自身が漢の末裔を主張してのしあがっただけに、それなのに養子であった劉封が皇帝になってしまったとなるとこれは非常にまずいといえます(もっとも、献帝が生存しているのに皇帝になったあたりで既にまずいといえばまずかったらしいが)。自らの正当性を突き崩しかねないと。
当然諸葛亮が劉備の遺言のように取って替わってたりしたら、これまたもっとまずいことになったと。
それを承知で劉備があんな遺言をしたということは、劉備の意図としては自分亡き後は地方軍閥でもいいという見方をしていたのかもしれません。結局諸葛亮と姜維の北伐で国力を弱めてしまって滅亡したわけですし。
少し話がそれましたが、以上のことからは、やはり劉禅は必要だった! という結論になります。彼がいなければ少なくとも劉備死後の蜀が正統を主張することはできないわけで、また劉禅が適度に賢明で国家の寿命を延ばしたりしていたら三国志が冗長な話になってしまって滅びの美学を体現することもできなかった。
文学的な三国志を作るうえでは劉禅はほぼ要求されたタスクを果たしているということになるのです。何という凄い男なのだ劉禅。
いや、だから劉禅を好きになるかというと全く別の問題ではあるわけですが(笑)
あとはダメ皇帝を残して遠征三昧の人気宰相の性格も劉禅と三国志をあんなにしてしまったといえばそうかもしれません(笑)。
最高責任者が1年以上離れていればそれは弛緩しそうな気が。
劉禅の玉砕息子が皇帝になっていれば、戦場で蜀が滅亡したとかいう話になった可能性はありますね。ある意味南宋のような劇的な展開だったかもしれません。
劉禅と孔明があんなでなければ、確かに五胡十六国みたいなよく分からない時代になっていた可能性はありますね。
で、もちろんのことながら劉禅が尊敬されるべき人物であるとは思いませんし、廟が壊されるのも仕方ないかな~という気はします(笑)
こんにちは! - JOO
引用ありがとうございます(笑)
確かにあの劉禅があんな劉禅じゃなかったら三国志はあんなに人を引き付けなかったかもしれませんね。
似たような分裂時代の五代や五胡十六国では楊家将くらいでしょうか。
ただ歴史浪漫を別にすれば、劉禅の弟たちや最後降伏を潔しとせず玉砕した劉禅の息子もいましたので、少なくともゲームでも全く役に立たない阿斗ちゃんよりはよかったんでは?と思った次第です。器量がどんなものだったかわからないですけどねー。
でもあれ以下はないのではないかと(笑)
廟も建てるたびに壊されるなど、現地の人にもやたら人気ないらしいですよあの子は。