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2011年は勝てるのだろうか…?
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昨日、「新入社員に読ませたい本ランキング」があり、それに関連して三国志のことをちょこちょこ触れようかなと思いつつ時間がなくて考えるのも面倒なのでやめましたが、今度はgooにこんなランキングがありました。
好きな「三国志」の武将ランキング
1.諸葛亮 2.劉備 3.関羽 4.曹操 5.趙雲 6.張飛 7.呂布 8.周瑜 9.馬超 10.司馬懿
11位以降は省略。
1位が諸葛孔明で2位が劉玄徳という、まるでフェラーリ最強時代を思わせる当然のワンツーフィニッシュに言葉もありません(笑) ひねくれ者としては面白くないところですが、某ゲームメーカーの偏向に沿って呂布が一位だったり、某漫画の影響で孫策が一位だったりしても嫌なのでまあこれでいいのかもしれません。
14位の張角については、「武将なの?」って気もしますが。
個人的には鐘会とか鄧艾とか文鴦、あとは正史では陸抗(陸遜の次男。字の幼節ってのも何か可愛い)なんかが半端なく強いので好きなのですが、諸葛孔明死後は三国志ではないかのような扱いがされているので全員無視されている感じです。
友達にしたいのなら依然として袁紹なのですが、単純に普通に三国志で誰がいいかというと曹操あたりになりますかね。これに続くとなると、海賊討伐から騎兵戦まで全部こなした孫堅かあるいは文帝曹丕あたりになるんじゃないかと思いますが。好きというよりは評価しているという感じになりますが。
しかし、この三国志ランキングに限らず、gooのランキングってどうやって作られているのだろうと思っていたら、何かgooリサーチというgoo登録者の有志の者に対して行われている調査の結果なのだとか。
私登録しているんですが、インターネットに対する意識調査とかそういう生活のしかなくて、こういう娯楽系の調査全然来ないんですけれど…
1位・羊献容(西晋・漢) |
西晋恵帝の皇后として時代に登場も後ろ盾が速攻政争で敗退。地位が非常に不安定となり皇后を廃されては復帰を繰り返した。西晋が八王の乱に次ぐ匈奴の侵入で滅亡すると匈奴の捕虜となる。彼らが漢を建国すると、匈奴の勇将劉耀と再婚。後劉耀が皇帝として即位したため、中国史上でも珍しい(多分唯一だと思う)異なる二帝の皇后となった。劉耀との仲は良かったらしい。 |
2位・朱元璋(元末・明) |
明の太祖洪武帝。元末の混乱の中、頭角を表して遂には元を北方に追いやって明を建国した。皇帝となって後は皇帝独裁権力の強化に努め、万単位の粛清を行ったという。 |
3位・鄭和(明) |
永楽期の宦官でムスリム。永楽帝の対外政策を受け鄭和の大航海と呼ばれる六度の海外遠征を行った。 |
4位・郭侃(元) |
フビライの武将で、中東遠征に出かけるフレグに随行。アラムートやアイン・ジャールートなどでイスマイール派のアサシンやムスリム、十字軍らと交戦した。 |
5位・李自成(明) |
明末の大反乱軍の首領で北京を落として明を滅亡させた。農民反乱の指導者としては図抜けた器量の持ち主だったらしいが、結局清と呉三桂の前に敗退して殺された。 |
6位・文天祥(南宋) |
南宋末期の文人。元の侵攻に抗しきれずに捕らえられ、故国の滅亡を目の当りにすることに。その後フビライの執拗な説得を受けるも固辞し、結局刑死した。 |
7位・李靖(唐) |
唐の太祖・太宗期の将軍。南は呉を平定し、北は突厥を討ち、西は吐谷渾を平定した。 |
8位・李世勣(唐) |
唐・太宗と高宗期の将軍。10代で隋末の動乱に参加し、李密配下から唐に降伏した。太宗の武将として各地に転戦する。太宗、高宗、武照時代と時代の波を何とか生き残った。 |
9位・馮道(五代期) |
五王朝八姓十一君主に仕えた政治家。王朝が変わっても彼がいたので、住民の生活には継続性と安定性がもたらされたそう。 |
10位・班超(後漢) |
西域都護として中央アジア一帯で活躍。ローマ帝国に人を派遣したり、妹の班昭は有名な文人だったりと周辺にも面白い話が多い。 |
|
名前 |
理由 |
1 |
クリスティーナ女王 |
グスタフ2世アドルフの娘で、父親が戦死したため6歳でスウェーデンの女王になる。 |
2 |
シャジャル・アッドゥッル |
イスラーム史上に2人しかいないらしい女性スルタンの一人。アイユーヴ朝最後のスルタンの妾で、十字軍の侵攻時に急死した夫の代わりに政治を取り仕切り、十字軍を撃退した。その後マムルーク朝が起きると適当な人間がいないということでスルタナに祭り上げられるが、周囲の反発が強くて50日程度で退任。有力マムルークと結婚して、旦那をスルタンにしたものの、段々存在が軽くなってきたことに加えて浮気されてキレてしまい、夫を殺害したものの自身も夫の部下に殺害されたそう。 |
3 |
マリア・テレジア |
カール6世の娘で、18cのハプスブルク家の棟梁。マリー・アントワネットの母親という方が分かり易いかも。 |
4 |
テオドラ |
上のマリア・テレジアの時代なら絶対生きられなかったのがサーカスの風俗嬢だった彼女。ビザンツで一番有名なユスティニアヌス帝の皇后。 |
5 |
ムムターズ・マハル |
ムガルの4代皇帝シャー・ジャハーンの妃。シャー・ジャハーンが彼女を弔うために作った施設がタージ・マハル。 |
6 |
ボルテ |
チンギス・ハーンの正妻。チンギスが覇権を確立する過程で相手にさらわれたりして苦労した。チンギスの長子ジュチはその時に身籠ったらしいのでチンギスの子供でない可能性が高い(ジュチ自体「客人」って意味らしいし)ものの、名目上長子として扱われたところを見ると、「貴方の子よ」と押し通したのだろう。 |
7 |
エカチェリーナ2世 |
ドイツの貧乏貴族からロシアに送られ、夫との関係も希薄な中から世界史屈指の有名な女帝にまでなったのだから、晩年のダメダメっぷりを考えてもすごい人なんだろうと思う。 |
8 |
カテリーナ・スフォルツァ |
やっぱり、子供を人質にとられた時のあれ↓でしょ(笑)。 |
9 |
ジャンヌ・ダルク |
その素性は完全に不明なので何とも言えないものの、ジル・ドレみたいな変質者が心服していたというのは単純にすごいことなのではと思う。 |
10 |
アーイシャ |
ムハンマドの最後の奥様。後に4代カリフとなるアリーが大嫌いで、アリーがカリフになると真っ向から反対し、反対派が戦争を仕掛けるとその応援のため戦場に現れ、妨害しようとした。 |