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2011年は勝てるのだろうか…?
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1位・羊献容(西晋・漢) |
西晋恵帝の皇后として時代に登場も後ろ盾が速攻政争で敗退。地位が非常に不安定となり皇后を廃されては復帰を繰り返した。西晋が八王の乱に次ぐ匈奴の侵入で滅亡すると匈奴の捕虜となる。彼らが漢を建国すると、匈奴の勇将劉耀と再婚。後劉耀が皇帝として即位したため、中国史上でも珍しい(多分唯一だと思う)異なる二帝の皇后となった。劉耀との仲は良かったらしい。 |
2位・朱元璋(元末・明) |
明の太祖洪武帝。元末の混乱の中、頭角を表して遂には元を北方に追いやって明を建国した。皇帝となって後は皇帝独裁権力の強化に努め、万単位の粛清を行ったという。 |
3位・鄭和(明) |
永楽期の宦官でムスリム。永楽帝の対外政策を受け鄭和の大航海と呼ばれる六度の海外遠征を行った。 |
4位・郭侃(元) |
フビライの武将で、中東遠征に出かけるフレグに随行。アラムートやアイン・ジャールートなどでイスマイール派のアサシンやムスリム、十字軍らと交戦した。 |
5位・李自成(明) |
明末の大反乱軍の首領で北京を落として明を滅亡させた。農民反乱の指導者としては図抜けた器量の持ち主だったらしいが、結局清と呉三桂の前に敗退して殺された。 |
6位・文天祥(南宋) |
南宋末期の文人。元の侵攻に抗しきれずに捕らえられ、故国の滅亡を目の当りにすることに。その後フビライの執拗な説得を受けるも固辞し、結局刑死した。 |
7位・李靖(唐) |
唐の太祖・太宗期の将軍。南は呉を平定し、北は突厥を討ち、西は吐谷渾を平定した。 |
8位・李世勣(唐) |
唐・太宗と高宗期の将軍。10代で隋末の動乱に参加し、李密配下から唐に降伏した。太宗の武将として各地に転戦する。太宗、高宗、武照時代と時代の波を何とか生き残った。 |
9位・馮道(五代期) |
五王朝八姓十一君主に仕えた政治家。王朝が変わっても彼がいたので、住民の生活には継続性と安定性がもたらされたそう。 |
10位・班超(後漢) |
西域都護として中央アジア一帯で活躍。ローマ帝国に人を派遣したり、妹の班昭は有名な文人だったりと周辺にも面白い話が多い。 |
ご指摘ありがとうございます。
羊献容については陳舜臣氏の本はもちろんのこと、英語圏でも文献があったりしたようなのですが、年代的にはギャップがありそうということなのですね。
即位した後の劉耀が皇后にしたとかそういうことになるのでしょうか。
羊献容のこと - 獺池入道
「漢」の建国は304年、永嘉の乱のクライマックス,晋都洛陽の陥落(このとき献容が捕虜となる)は311年。献容の再婚相手は劉『曜』、劉曜は即位後国号を「趙」と改めた(史上この匈奴政権を「前趙」または「漢趙」と呼ぶ)。
重箱の隅をつつくようで恐縮ですが以上、指摘しておきます。