選択したカテゴリの記事一覧
- 2025.01.22 [PR]
- 2009.06.05 vs世田谷
- 2009.03.28 ワンコイン自販機
- 2009.03.17 vsさいたま
- 2009.03.15 VS聖蹟桜ヶ丘
- 2009.03.03 日替わりテナント?
×[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
そこに行けば、どんな人もセレブになるよ。
住みたい人は、数え切れぬが、遥かな世界。
その国の名は せた~が~や。どこかにあるユートピア。
どうすれば住めるのだろう、教えてほしいよ。
In Setagaya,Setagaya They say it was in 23ku.
Setagaya,Setagaya 富の国 せたがや。
世田谷区。
23区の中で、その地に足を踏み入れたのは実に15番目くらいだった場所である。
当時、私は千歳烏山なる場所を京都の烏丸と勘違いするほどのおのぼりさんであったが、とにかく世田谷というと高級住宅街。住む人を選ぶとされる地域である。
私はある日、世田谷区世田谷に用事を得て出かけることになった。
世田谷区世田谷。何という重い響きであろう。
渋谷区渋谷、新宿区新宿などとともにいかにもその場所の中心地という響きのする場所である。
この点で池袋や上野、銀座はどれだけ頑張ろうと敗者である。
豊島区池袋、台東区上野、中央区銀座、全くお話にならない。
さて、世田谷区世田谷というゴージャスな響きの場所は私にとって全く馴染みのない場所であったので行き方を調べることにした。おそらくは東急線で行けるはずという私の予想はピタリ的中した。
だが、私は僅かな違和感を感じる。
新宿三丁目から東京メトロで渋谷。160円。これは理解できる。
渋谷から東急田園都市線で三軒茶屋まで150円。これも理解できる。
三軒茶屋から東急世田谷線で世田谷まで140円。これも理解できる。
とすると、何の矛盾もないようだ。
いや、待て。後ろの二つは同じ東急線ではないか。何故に別々に運賃を取るのだ。以前菊名から溝ノ口まで行った時、乗り換えたからといって余分に運賃を取ることはなかったではないか。どうして東急世田谷線だけ140円を余分に払わせるのだ?
世田谷か、世田谷だからなのか?
私は戦慄を覚えた。
「家にはお腹をすかせた子供が待っているので、おにぎり代として140円を残してくだせぇ」
と東急線の駅員に言ったらまけてくれるだろうか。
いや、そんなことを言えば、「敗者世田谷に来るべからず」と蹴返しをくらうのかもしれない。
仕方がない。私は140円を余分に用意して出発した。そして渋谷まで向かい、三軒茶屋で降りる。改札口を出ると長く広い地下通路が広がっていた。単に歩くための地下通路としては破格の広さといっていい。ひょっとしたら世田谷なだけにリフトが用意されているのではと予想していたが、それはなかった。
ともあれ、私は地下通路を通って世田谷線へと向かう。途中軽く道を間違えて、すし屋で寿司をつまむというアクシデントに出くわしたが、程無く世田谷線に到着した。
何と!?
私は目を見張った。
東急世田谷線はいわゆる路面電車だった。いや、路面を走っているのではなく、専用の線路を走っているから路面電車ではない。だが、見た目はほとんど路面電車であるし、中に運賃箱があるあたりも通常の電車とは完全に異なっている。
どうやらこれが運賃が別になっている理由なのだと私は軽く納得した。だからといって、喜んで140円を払うつもりにはなれなかったが。
そういえば。京都にもこのような電車が走っている地域がある。
上流を謳うところにはこのような路面電車が走っている、ということなのであろうか。新宿のような人の多くてアクセクしている場所は歩道ですら動いて皆あくせく動いているというのに、電車がとろとろ走るというこの余裕。
さすがに世田谷。余裕の程が違う。私はレベルの違いを痛感した。
そして中に乗る。車内広告もさすがに世田谷だ。最近の電車は消費者金融と債務整理の司法書士の広告ばかりであるが、その類のものがほとんどない。
だが、医師の広告が多い理由はよく分からなかったが。
揺られること数分。私は目的地に到着した。
そして用事を終え、再び世田谷線に乗り今度は下高井戸に向かう。
下高井戸。世田谷区なのに何となく下っぽい響きのする街である。私はそこで遅い昼ご飯を食べようとした。
しばらく歩いているとココイチが見える。ココイチを見るとついつい入ってしまう性だけはどうにもならない。
私は店に入った。
そして呆然と立ちすくんだ。
最近はココイチもあまり栄えていないのか(オイオイ)、新聞などが撤去されている店舗が多い。
だが、下高井戸店にはスポーツ紙だけでも2つ、雑誌の類も用意されていたのである。
ココイチですら、世田谷にあればこれほどのものを用意できるほどのセレブになるのか。
私はあらためて世田谷がすごい場所であることを思い知った。
世田谷…
やはりそこは、リッチな場所であった。
PR
ゲームセンターが120円になるかもという話がある一方で、現在120円の自動販売機はやや安くなる方向に向かっており、最近では100円自販機を探すのはそう難しい話でもなくなってきました。
そんな中でフォルテさんが80円自販機について記事にされておりまして、そこで私もどうでもいい身の上話に加えて、「80円の自販機は新宿にもある」みたいなことを書いていたのですが。
先程、その自販機を通りかかったら、何と50円のコーヒーがありました!
あ、いや、すぐ通り過ぎたうえに暗いので私の携帯ではまともに写せないということで証拠となるものは現時点では示せないのですが…
メーカーなども確認していませんでしたけれど、50円というのもまあスゴイなあと。
以前、賞味期限を完全に過ぎたものを明示したうえで20円くらいで販売している店があるということを書いたことがありましたけれども、何かそういう裏でもあるのでしょうか。
ちなみに私は近くの料理店で試作品をタダで食べたりしているので、試作品とかなら別に気にはしません。というかむしろ喜んで行っていたりします。
しかし、中国の工業地帯で作られた超安値が原因、とかいうのならちと躊躇しますけれども(苦笑)
追記:本日追加調査の予定でしたが、すっかり忘れている間に暗くなってしまいました。数分歩くと行けるところなのに…(笑)
全く互角の相手が近くにいる、ということはいかなることを意味するのであろうか?
それは切磋琢磨の末に互いに発展できるということを意味するのかもしれない。
しかしながら、あるいは武田信玄と上杉謙信がそうであったと伝えられるように、互いを意識しすぎている間に別の第三者にスルスル抜けられてしまい、互いに埋没してしまうという可能性も確かに否定できない。
浦和と大宮というのはそういう、互いに引くことのできない宿敵同士、というイメージを受ける。
一説に徳川家康はさいたまに幕府を開こうとしたが、浦和と大宮のライバル意識があまりに強すぎてどちらの側にも立てず、当時はさびれた漁村だった江戸を本拠としたという話がある。
そんな浦和と大宮が互角のまま合併し、さいたまになったというのは日本の地方公共団体史上類例を見ないほどの出来事といっていいかもしれない。全く互角の両者が、互角のまま融和を示したのである。もっとも、内心の対立はそれで収まるほど単純ではない。浦和がサッカーでレッズを作れば、大宮はサッカーでは不利なので野球のライオンズを呼び寄せるほど、両者の対立は未だ根強い。
さいたま市役所が浦和側に出来れば、大宮は新幹線を停車させるなど、両者は互いの主導権争いにおいて一歩も引き下がるつもりはないようだ。
私は浦和とは多少の縁がある。乳児だった頃を浦和で過ごし、積み木やゴムボールには全く関心を示さず、ただ京浜東北線の電車が通るたびに熱狂的に喜んでいたという親の談があるほどだ。
私の子供の頃のアイドルは京浜東北線だったらしい。
そして当然に、しかし大変残念ながら、私は幼少時の夢をかなえることができなかった、すなわち京浜東北線になることはできなかったのだ。
その意味では私は人生の敗者といえるかもしれない。
時は流れ、私は関西を放浪し、今新宿という土地にいる。
とはいえ、宿命が呼び寄せるということがあるのだろう。私は頻繁に浦和に行くし、大宮にも最近は時折顔を見せている。
そして両者は全く異なるさいたま市の顔を私に見せ付けるのである。
まず、私と多少縁のある浦和は共和制が実現されている。
というのも、一体どこが浦和の中心地なのか、ほとんどの人は答えることができないのではないかと私には思えるからだ。
例えば、浦和駅はその名前からすれば浦和の中心なのかもしれない。しかし、特急列車はそれが政令指定都市の中心地に対する態度なのかと愕然とするほど冷然に浦和駅を無視していく。赤羽駅という関東圏に住む以外の人にはほとんど知られていないような駅にすら軽んじられているのが浦和駅の現実なのだ。
そんな浦和駅を見て武蔵浦和駅は「自分達こそ浦和の中心地だ」と思っているに違いない。武蔵浦和は快速が止まるからだ。
私は一度さいたま市役所に緊急の用事を得て、自ら行かざるをえないときがあった。その時、地図を見て迷ったものだ。「武蔵浦和と浦和、どっちが近いのか?」と。新宿からだと埼京線一本という点で武蔵浦和の方が利用が容易で、だから武蔵浦和から向かったのだが、それはさほど重要なことではないことでもないかもしれない。
より重要なのは、浦和近辺に、浦和、中浦和、南浦和、武蔵浦和、東浦和、北浦和、西浦和とこれでもかというほど浦和をアピールしている駅が存在していることである。
そして浦和は海賊版コピーの横行によって、本体が廃れてしまって結局海賊版も廃れてしまうという著作物のごとく、それぞれが埋没してしまっている。
にもかかわらず、浦和は不屈の魂を燃やし、浦和美園という新駅まで作った。
行き着くところまで行き着いてしまえという覚悟があるらしい、私は浦和のその潔さに清々しいものを感じている。
一方の大宮は浦和とは逆に中央集権独裁体制に近い形にある。
まず大宮駅に降り立った途端、人は愕然とする。青春期をゲームとともに過ごした者は間違いなく、ドラクエ2のロンダルキアの洞窟や、FFのカオスの神殿を思い出すに違いない。
私もその例に漏れず、大宮駅というダンジョンで迷いに迷った。白状するが、20分以上本気で迷ったのは大宮駅だけである。ちなみに二番目に迷ったのは名古屋駅である。
それもそのはず、大宮駅は新幹線が止まるうえに、埼京線、川越線、京浜東北線(私のアイドルだ)、東武野田線などの終着駅となっているあたかも皇帝のような駅なのだ。周辺地域の人口を考えれば、大宮駅の横浜駅や名古屋駅にすら匹敵する絶大な権力は震撼に値する。
その大宮駅では迷っている間に敵まで襲ってくる。駅内に巧妙にはりめぐらされた幾つもの店舗が財布のHPをガンガン奪っていくのだ。おそらく1時間以上迷ったなら、よほどの強者を別にして死んでしまうだろう。そう、ゴールド(所持金)を半分にされてしまうのだ。
そんな大宮駅に私は畏怖を感じた。しかし、大宮駅を出てしまい、しばらく経つとその畏怖は和らいでくる。のどかな普通の街になっているのだ。高島屋ですら何となくスーパーみたいに見えてしまう。
大宮は駅という絶対権力と、庶民的な街並みという両極端な要素で成り立っている。これもまた浦和と切磋琢磨の末に互いに見出した分岐路なのであろう。
浦和と大宮の決着がどうなるのか。それは私には分からない。
だが、宿命のライバルと呼ばれた彼らがさいたま新都心駅や与野本町駅に出し抜かれることだけは、さすがにないと断言したい。
中ほどの「京浜東北線になることはできなかった~」のくだりはひょっとしたら、オリジナルではなくて別の誰かの言葉の影響を受けているのかも、という気はします。その場合にどこで見たのかについては覚えてないのですけど。
京浜東北線が好きだったらしいというのは本当みたいですが(笑)
あらかじめ書いておきますと、新宿区民と多摩市民の方、物を投げないでください(笑)
隣の芝は青く見えるという話がある。
他人の物は良く見えがちということなのだろうけれど、人は自分の住むところに「こうなってほしい」という願望を抱いているため、それが実現されていない現状があるとフラストレーションを溜める傾向があるようだ。
例えば、隣町にスーパーがあって、そこを利用している場合とか、警察署の管轄が実は隣の市だったりするとそれで支障を来たさなくても人は不満を感じるものなのだ。
「自分は隣の市のデパートを利用し、警察署の管轄も別の市のところと一緒にされている。どう見ても隣の市に世話になっているのにどうして住民税を払わなければならないのか」などということにもなりうるのである。まあ、だからそのあたりを踏まえてふるさと住民税という制度ができたのかもしれないが。
閑話休題。
東京西部に多摩市という自治体がある。地図で見るとそんなに大きな市ではなく、住んでいない者からすると「近くと一緒になればいいのに」という失礼なことを思わせたりもする市である。
その多摩市の中心地のひとつが聖蹟桜ヶ丘。京王線の特急が止まり、京王デパートがあるなど京王グループが頑張って作っている町の一つである。
本日その聖蹟桜ヶ丘に行ってみた。
まず、高架線路が実現されており、駅の下が非常にゆったりとしたスペースになっており、左右に京王デパートと京王ストアが配置する布陣。喫茶店、チェーンの食事店など大体出揃っており、駅前はまるで隙のない構え。しかし何よりも高架橋が実現していて、東口と西口が2分で行けるというのが素晴らしい。新宿だと分かっていても8分くらいは余裕でかかろうというのに。
多摩市、侮りがたし。私は軽い戦慄を覚えた。デパートとスーパーが左右に並ぶ布陣には同じ京王系列とはいえ呉越同舟ではないかという疑問を感じないでもないが、ニュータウンなだけにお金持ちも多く、それらがハイソであることを証明するためにデパートを利用するという可能性はある。
PRIDE OF 多摩市 多摩市民の需要は多摩市民できちんとケリをつける。
そんな言葉が頭を過ぎる。
私は西口からVITAという建物の前のスターバックスへと向かった。
店の前にテーブルが並んでいて、ゆったりとしたスペースが確保されている。上野駅地下道のスタバはもっとスペースを確保しているが、新宿や渋谷のスタバでここまで大胆に公共スペースまでテーブルを出すことはない。
スタバのコーヒーは高いが、とりあえず新宿区民として負けてはいられない。私はスタバを使うことに決め、外でアイスコーヒーを飲む。日陰なので多少寒い。西日が傾いている側へと移動しようとした時、VITA館内の案内図が目に入り、私はその一点に目を奪われた。
animate
何と!
聖蹟桜ヶ丘はanimateまで装備しているというのか!?
新宿にはanimate(GAMERSなども含めたそれ系店舗)がない。もちろん、いつも利用するわけではないが、多文化に理解を示す人間の一人としてたまに無性にanimateを利用したくなる時はあるのである。そんなときは池袋か渋谷に行かなければならない。池袋は本店なのでとにかくでかい。ただ、駅から少し距離がある。渋谷は池袋ほど大きくはないが、駅からはそれほど遠くない。
どちらを利用するかは気分で決める。
別に負担となるわけではない。160円を惜しむならそもそもanimateなど利用できないし、190円払う覚悟を決めれば一大ターミナル秋葉原へも容易に行ける。
しかし、animateなどを利用するためだけに移動している間、やはり敗北感に打ちのめされるのである。新宿には都庁もあり、毎日日本一の利用客がいるらしいというのに、どうしてanimateの一軒も用意できないのかと。
そのanimateが聖蹟桜ヶ丘にある。多摩市民のアニメの情熱はここにぶつけろ。その熱い主張を無機質な案内板からひしひしと感じる。
RPIDE OF 多摩市 多摩市民の需要は多摩市内でケリをつける。
私は聖蹟桜ヶ丘が新宿を越えたことを認めざるを得なかった。
しかし、私は同時に思った。
これは聖蹟桜ヶ丘にとって危険な賭けではないのかと?
例えば多摩地区でいけば他に立川などにanimateがあることを私は掌握している。しかし、立川は南武線、中央線、多摩モノレールが行き交う要衝であるから、人の行き来も多い。しかるに聖蹟桜ヶ丘は多摩市の重要拠点とはいえ、京王線以外の路線はなく、基本的には多摩市内輪の拠点である。
animateを必要とするほどの需要があるのか?
これは調査しなければならない。私は無意味な義務感にかられ、時間があったこともあって中に入った。
来た、見た、負けた。
そこは池袋本店や渋谷などのイメージほどの大きな店舗ではなかった。テナントの一部を利用して本質的なものだけを揃えているという様相であった。全国規模の需要は満たせないかもしれない。しかし、自分達で必要なものならここだけで十分だ。そういう覚悟を滲ませる店構えであった。
聖蹟桜ヶ丘、恐るべし。
私の中の住みたい街ランキングにおいて、初登場堂々2位にまで躍り出た。ちなみに1位は吉祥寺である。
私はその後、時間つぶしのためにブックオフに向かった。
その途中のゲームショップでデモプレイが行われていた。
新宿と異なり並ぶ者もいない。自由に試してみてくださいという状態であった。おかげで私は初めてウイイレをプレーすることができた。初めてだったし、デモプレイのところで説明書も読めるはずもないからさっぱり分からず、強いはずの青赤軍団が見るも無残に失点の山を積み重ねていったが…まあ、別にファンでもないから気にすることもあるまい。
そして2時間ほどの滞在の後、準特急で新宿へと戻った。非常に後ろ髪を引かれる思いであったのはいうまでもない。
ちなみに、何故そんなに時間潰しをしていたかというと、単純に時間の概念における誤解によるものである。
具体的にいうと、気取って「じゃあ、明日13時に」などという言葉は使わない方がいいということである。
日替わりランチというのは最近のファミレスなどでは定番のメニューですが、四ツ谷のあたりには日替わりテナントみたいなのがある…ようです。
ようだというのはただ通りがかっただけで止まってじっくり見ていなかったから確信がないということなのですが、パッと見たチラシのようなものには「効率よく物件を活かすためにテナントもシェアリング」みたいなことが書かれてあり、何だか閑散とした感じの店舗で靴が並べられて売られていました。
じっくり見ていないのですが、朝のうちに車か何かで靴を搬入して、店頭に並べて、で、閉店すれば持ち帰る…みたいな形だと確かに実現できるのかなーという気も。翌日は服か何かを運んでくるとか。
継続してその場で売り続けるのと比して売上げがどうなるのかというのは分かりませんが、少なくとも支払わなければならない賃料が低廉になることは間違いないわけで、用意する在庫も少なめで済むわけですから手軽な新規事業起こしとしては使えたりするのかもしれません。貸す側にしても何もないよりかは日割であっても幾らか貰った方がいいかもしれませんし、それで成功したりする店舗が出てくれば日替わりではなくそこにいつくようになるかもしれませんからメリットはありそう。
そう言いつつ実はこちらの勝手な思い込みでそうではなかったのかもしれませんけれど、今後こういう形での1階店舗施設利用なんてのは増えるのかもしれない、なんて気はしてきました。