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2011年は勝てるのだろうか…?
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全く互角の相手が近くにいる、ということはいかなることを意味するのであろうか?
それは切磋琢磨の末に互いに発展できるということを意味するのかもしれない。
しかしながら、あるいは武田信玄と上杉謙信がそうであったと伝えられるように、互いを意識しすぎている間に別の第三者にスルスル抜けられてしまい、互いに埋没してしまうという可能性も確かに否定できない。
浦和と大宮というのはそういう、互いに引くことのできない宿敵同士、というイメージを受ける。
一説に徳川家康はさいたまに幕府を開こうとしたが、浦和と大宮のライバル意識があまりに強すぎてどちらの側にも立てず、当時はさびれた漁村だった江戸を本拠としたという話がある。
そんな浦和と大宮が互角のまま合併し、さいたまになったというのは日本の地方公共団体史上類例を見ないほどの出来事といっていいかもしれない。全く互角の両者が、互角のまま融和を示したのである。もっとも、内心の対立はそれで収まるほど単純ではない。浦和がサッカーでレッズを作れば、大宮はサッカーでは不利なので野球のライオンズを呼び寄せるほど、両者の対立は未だ根強い。
さいたま市役所が浦和側に出来れば、大宮は新幹線を停車させるなど、両者は互いの主導権争いにおいて一歩も引き下がるつもりはないようだ。
私は浦和とは多少の縁がある。乳児だった頃を浦和で過ごし、積み木やゴムボールには全く関心を示さず、ただ京浜東北線の電車が通るたびに熱狂的に喜んでいたという親の談があるほどだ。
私の子供の頃のアイドルは京浜東北線だったらしい。
そして当然に、しかし大変残念ながら、私は幼少時の夢をかなえることができなかった、すなわち京浜東北線になることはできなかったのだ。
その意味では私は人生の敗者といえるかもしれない。
時は流れ、私は関西を放浪し、今新宿という土地にいる。
とはいえ、宿命が呼び寄せるということがあるのだろう。私は頻繁に浦和に行くし、大宮にも最近は時折顔を見せている。
そして両者は全く異なるさいたま市の顔を私に見せ付けるのである。
まず、私と多少縁のある浦和は共和制が実現されている。
というのも、一体どこが浦和の中心地なのか、ほとんどの人は答えることができないのではないかと私には思えるからだ。
例えば、浦和駅はその名前からすれば浦和の中心なのかもしれない。しかし、特急列車はそれが政令指定都市の中心地に対する態度なのかと愕然とするほど冷然に浦和駅を無視していく。赤羽駅という関東圏に住む以外の人にはほとんど知られていないような駅にすら軽んじられているのが浦和駅の現実なのだ。
そんな浦和駅を見て武蔵浦和駅は「自分達こそ浦和の中心地だ」と思っているに違いない。武蔵浦和は快速が止まるからだ。
私は一度さいたま市役所に緊急の用事を得て、自ら行かざるをえないときがあった。その時、地図を見て迷ったものだ。「武蔵浦和と浦和、どっちが近いのか?」と。新宿からだと埼京線一本という点で武蔵浦和の方が利用が容易で、だから武蔵浦和から向かったのだが、それはさほど重要なことではないことでもないかもしれない。
より重要なのは、浦和近辺に、浦和、中浦和、南浦和、武蔵浦和、東浦和、北浦和、西浦和とこれでもかというほど浦和をアピールしている駅が存在していることである。
そして浦和は海賊版コピーの横行によって、本体が廃れてしまって結局海賊版も廃れてしまうという著作物のごとく、それぞれが埋没してしまっている。
にもかかわらず、浦和は不屈の魂を燃やし、浦和美園という新駅まで作った。
行き着くところまで行き着いてしまえという覚悟があるらしい、私は浦和のその潔さに清々しいものを感じている。
一方の大宮は浦和とは逆に中央集権独裁体制に近い形にある。
まず大宮駅に降り立った途端、人は愕然とする。青春期をゲームとともに過ごした者は間違いなく、ドラクエ2のロンダルキアの洞窟や、FFのカオスの神殿を思い出すに違いない。
私もその例に漏れず、大宮駅というダンジョンで迷いに迷った。白状するが、20分以上本気で迷ったのは大宮駅だけである。ちなみに二番目に迷ったのは名古屋駅である。
それもそのはず、大宮駅は新幹線が止まるうえに、埼京線、川越線、京浜東北線(私のアイドルだ)、東武野田線などの終着駅となっているあたかも皇帝のような駅なのだ。周辺地域の人口を考えれば、大宮駅の横浜駅や名古屋駅にすら匹敵する絶大な権力は震撼に値する。
その大宮駅では迷っている間に敵まで襲ってくる。駅内に巧妙にはりめぐらされた幾つもの店舗が財布のHPをガンガン奪っていくのだ。おそらく1時間以上迷ったなら、よほどの強者を別にして死んでしまうだろう。そう、ゴールド(所持金)を半分にされてしまうのだ。
そんな大宮駅に私は畏怖を感じた。しかし、大宮駅を出てしまい、しばらく経つとその畏怖は和らいでくる。のどかな普通の街になっているのだ。高島屋ですら何となくスーパーみたいに見えてしまう。
大宮は駅という絶対権力と、庶民的な街並みという両極端な要素で成り立っている。これもまた浦和と切磋琢磨の末に互いに見出した分岐路なのであろう。
浦和と大宮の決着がどうなるのか。それは私には分からない。
だが、宿命のライバルと呼ばれた彼らがさいたま新都心駅や与野本町駅に出し抜かれることだけは、さすがにないと断言したい。
中ほどの「京浜東北線になることはできなかった~」のくだりはひょっとしたら、オリジナルではなくて別の誰かの言葉の影響を受けているのかも、という気はします。その場合にどこで見たのかについては覚えてないのですけど。
京浜東北線が好きだったらしいというのは本当みたいですが(笑)
満足いただければ何よりです(笑)
浦和と大宮はサッカーはともかく地域ネタとしては非常に美味しいような気がしています。
ふ~む、慣れていれば大宮駅では迷いませんか。
私の大宮初体験は東口側に出るつもりで西口側に出てしまって、で、東口に回るのに駅構内をぐるり回って道が見つからずに断念して結局北から大回りして30分近く費やしてしまいました。
東京駅は確かにちょっとややこしいですけれど(地下鉄まで含めると尚更)、新宿駅は今はもちろん、最初の頃からそれほど迷ったことはないんですよね。
メロディにそのような格差がありましたか。JR的には大宮の方を徹底的に格上として扱いたいということなのでしょうか(笑)
ボクは浦和側の立場になるのですが、たまに生まれも育ちも浦和という人よりも大学に入って初めて浦和に(というか埼玉県自体に)住んだのに熱くなることがあります(笑)
大宮の駅の場所って旧大宮市区でもかなり南寄りなので別に大宮が浦和市の一部だと言われても文句は言えなかったと思っているあたりボクはレッズ以上にPride of URAWAなのかもしれません(爆)
さてまるで緩衝帯のように存在していた与野市は浦和・大宮の合併に際しいち早く合併に同意したことが認められて「中央区」をゲットすることに成功したそうでこの生きざまは何かの参考になりそうです(笑)
確かに地理的には大宮市でもかなり南ですよねー。
ただ、港区の中にあったり品川駅を品川区のものと考えるのはさすがにアレですが、一応旧大宮市内地にある以上は大宮が所有権を主張していいのかなという気はしています(笑)
確かにさいたま市中央区役所は与野本町が最寄なんですよねー。しかも駅からもえらく近いですし。
与野市の果たした役割はもっと研究・賞賛されてしかるべきかもしれませんね(笑)
無題 - くがみ
毎日大宮で京浜東北線に乗り浦和を通過する、浦和・大宮の属領在住の身としては、今回のエントリーはちょっと抱腹絶倒でした(笑)
でも、幼き頃から大宮駅の変遷を体感している所為でしょうか、大宮駅は結構単純構造な気がしてしまうのですが……馴れない方は違うのでしょうか。それよりも、私は現在絶賛工事中の東京駅、そして少し以前の工事中の新宿駅はリアル・メガテンダンジョンだと言って憚らないくらいよく迷子になりますが。
ちなみに、京浜東北線大宮駅で流される大宮アルディージャの発車メロディは始発駅ゆえワンフレーズ以上流して貰えるのですが、浦和駅で流される浦和レッズの発車メロディは朝のラッシュ時などにはよくはしょられています(笑)