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2011年は勝てるのだろうか…?
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台北市・故宮博物院。
そこは大いなる古代の文物が眠るという地である。
博物館というと、私はかつて大阪のNHKホールで開かれていたトプカプ美術館貯蔵品を見て震撼した記憶がある。
拳大のルビーやエメラルド、それらの輝きは人の欲望を大いに奮い立たせるものなのであった。コイ・ヌールと呼ばれるダイヤモンドを巡り、血で血を洗う争いが広げられたというが、このようなものを見た暁には強盗がまかり通るのはやむをえないと私は悟らざるを得なかった。
私は朝から故宮に入りついた。入り口近くでは展示品案内のレコーダーの貸し出しが行われている。日本でもよくあるものだ。
しかし、私は日本でもそうであるようにそのような機械には頼らないことにしている。そもそも、全部きちんと見るという保証すらないのだから、そのようなものを持っていても宝の持ち腐れということになりかねない。
順番無視のファンタジスタを規則正しく拝観させようという戦術で縛ることはできないのである。
私は現地時間の8時40分についた。開館は9時からである。ファンタジスタとはいえ、試合開始時刻を早めることはできない。私はしばらく待たざるを得なかった。
その時、歴史は動いた…ではなく、事件が起きた。
入り口近くで待っていると、突如として20人くらいの集団が横合いから突っ込んできた。
まるで夷陵の戦いにおいて劉備の敷いた長蛇陣に奇襲をかける陸遜率いる呉軍のような猛攻である。そして、奇襲を敢行した指揮官は陸遜ではなかったが、呉の地域出身の一団らしいことはうかがえた(上海のツアーの旗を先頭が持っていたので)。
私は戦慄した。ここ台湾にも中国人観光客が凄いという話は聞いていたが噂に勝る代物である。
中に入ると、中国人観光客がより脅威となる。何せ数を頼みに次々割って入ってきて人が鑑賞しようとしているのを妨げてくるのだ。
より恐ろしいのは、相手を蹴散らすのを当然と思っているかのごとく迷いなく入ってくることだ。これにはさすがに頭に来たが、しかし、皆が皆「自分が一番いいポジションにいなければならない」と考えている以上、順番を守ろうという価値観の方がむしろ間違っているといえるのかもしれない。サッカーのセットプレーの際に順番を守っていたのであれば、そのチームはほぼ全ての試合を落とすであろう。
であれば、私も同じ価値観をもって挑まなければならない。そう、このスウェーデン代表の黄色のユニフォームにかけて競り合いに負けるわけにはいかないのだ(一応これは本当。暑いので適当に涼しそうなのを持っていってたまたまそれを着ていた)。
← 熾烈なポジション争いの図(注:さすがにスライディングしているのはいません)
激しいポジション争いを通じて私は悟った。競り合いは体力差ではなく意気込みと準備の差であるのだと。
おそらく、日本のfootballerに足りないのもこれであるのだと。
もし、ボールが回ってきたら、
「次の時代は我々が創る。邪魔者は消すのみだ!」
くらいの意識で常にいるくらいでなければ世界の舞台では勝てない。
そうこう激しい競り合いをしながら私はfootballerとしての進歩を自覚していた。もちろん、私が進化したからといって誰がどう得をするというものでもないが、とにかく進歩した。
白菜や角煮を見終え、私は移動を続ける。
そうこうしている内、陶磁器の展示場所に着いた。適当に見回っているうち、北宋の陶磁器と雍正帝時代の陶磁器のコーナーが並んでいるなど配列に統一性がないような感覚を抱く。
しかし、それは間違いであった。しばらくして説明文を読むと。
「清の陶磁器は康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代に盛期を迎えて嘉慶帝時代以降大衆化が進み、光緒帝時代には衰退した。そうした盛衰を対比しつつ眺めてください」と書かれてある。
なるほど。康熙帝のところから、先ほど見た雍正帝時代の陶磁器は壁こそ離れているとはいえ場所は近い。私は自分の観賞ルートが正規のルートと違っていたのだと気付き、再度見回し、乾隆帝時代のもののコーナーへと向かう。
すると、日本人らしき男女が反対側のルートを歩みながら来ていた。反対、ということはつまり清晩年から嘉慶帝時代から盛期へと回ることになる。
時代に逆行しているので、あまり賢くはないが、気持ちよく回っているので指摘するつもりにもなれなかった。それに変に突っ込みを入れて太祖洪武帝に抹殺されたい気にもならない。
注:元末の群雄の張士誠は元は別の名前だったが、カッコいい名前をつけてほしいと知識人に頼んだらしい。その時、士誠という名前を与えられたが、これは「士は誠に小人なり」という論語から来たものらしく、張士誠を馬鹿にしたものであった。洪武帝はこの逸話を聞いて知識人に反感を抱いて弾圧したとかいう説がある。
従って、私はその日本人二人の様子をさして気に留めなかった。
しかし。
私は絶句した。
何とガイドに率いられた団体客がその日本人二人を追うかのように逆回りのルートを回っていたのである。
「ちょっと待て。仮にもツアーガイドがきちんとしたルートを回らなくてどうする!」
私は叫びたくなった。
しかし、聞いてもらえるとも思えなかったし、逆恨みされてもつまらないのでやはり黙っていた。
およそ2時間少しで観賞を終えた。もちろん、ゆっくり見回ればもう少し時間をかけることはできたが、競り合いなどに疲れてしまったし、たっぷりと芸術を鑑賞する柄でもないので、書画などはザッと見て終わりという性分がそうさせたのであろう。
終わった後、土産を買いに売店に行き、白菜と角煮を買う。
「茹でて食べてくれ」という冗談を言えば面白いだろう。
売店だけでなく書店もあった。中の品物についての本もあるらしい。
だがしかし、日本円換算で15万円はしようかという本を誰が買うのかというのは謎である。
油断しているとすぐ盗難に遭うって話もありますからね。ボールをかっさらわれない意識を身につけるにはローマの下町あたりを歩いてもらうといいのかもしれません。
実際には第二博物館で内蒙古の展示があるらしいなんて看板を見たので、早めに切り上げて第二に向かったら「16日まで」なんてオチがついて、中にいた時間はそれほど長くなかったのです。
終わったのに看板が出ているというのも中々日本ではないことでそれもいい経験といえばそうなのかもしれません。
無題 - パレット
こんにちは。
なるほど、勝利への哲学ですね。
英国などでは、まず自分の考えをズバッと言ってその理由も付け加えるという堂々の先制攻撃が普通だと感じました。
日本は相手の出方を待つという謙虚さが仇になっていると思います。世界と戦うには敵の流儀を知らないといけませんね。
故宮を楽しまれたようで、さすがに歴史に詳しい川の果てさんだと感心しました。漢字文化も侮れませんね。