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- 2011.04.21 テレビが悪い
- 2011.04.10 スピリチュアルな話
- 2011.04.05 放射能の危険性が隠匿されてたなんて馬鹿な話はない
- 2011.03.31 自粛の理由
- 2011.03.30 未知の分野と責任者
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昨日の阪神-巨人戦で巨人の脇谷が落球したけれども、判定は捕ったものとしてアウトになったという、有体に言えば誤審があったそうで。
で、その後の展開的に誤審が勝敗に影響したので虎ファンは怒っているわけですが、それのみならず脇谷が「自分は捕ってた。テレビの映りが悪いんじゃないの」みたいなことを言ったとかで一部のファンの火に油を注いでいるとか。
もちろんながら今回の脇谷の発言は望ましくないものと思いますが、一方で将来的には「テレビが間違っている」日が来ないとも限らないのかもという気もします。
昔、WSDでセリエAのコメンテーター(今のバラバン氏かその一つ前のヴィガノ氏かははっきり覚えてないけど)が「最近のセリエAには観客が来ない。そのうちCGで観客が一杯いるように見せかけるかもね」みたいなことを書いていたりもしていたわけですが、つまりまあそういうことで、現在は映画も全部CGで作れる時代です。そんな調子でCG加工技術とか進んでいったらテレビが100%正しいと言えなくなる時代が来るかもしれません。そういうのがなくても映像上の演出を駆使したりするとかで番組製作者側の意図する側に導こうとするケースなんかもあるわけですからね。それはもう実際は捕っているものを落としているように見せかけることだってお茶の子さいさい。
サッカーなんかだと無観客試合とかあるわけでして、そういう試合なら実際に起きたことと違う映像で処理すれば違う方が事実ということになるわけですからね。
もちろんながら、それが分かったらスポーツを見る意味とかはほぼなくなりそうで、それが実現する日ニアリーイコールプロスポーツの消滅する日になるのでしょうけれど。
そう考えると競技問わずプロアスリートの最後は遠くないのかも…。
ということで、脇谷のコメントは実は大きな意味を含んでいるわけで、彼が非常に先進的なアスリートであることが示されているかと思います(笑)。PR
Twitterなどで触れていますが、木曜日にトンデモ系の本を時間つぶしに買ったら、予想を遥かに超える斜め上な感じで展開されて、「ごめんなさい、僕が悪かったです」と思わず謝りたくなるくらいに圧倒されてしまいました。
何というかこういうの買うための心の準備も知識の準備も何もかもが足りなかったようです。新書なのに事前知識がないと太刀打ちできないのも辛い話ですが…
まあ、さすがにその本については全く理解できなかったわけですが、スピリチュアルとかいうのはどうでしょうかね。
世間にいるような、霊と交信するのとかについては、巷よく言われる「死者と話せるなら、未解決事件の被害者を呼び出して犯人聞けばいいじゃん」とかそういう突っ込みなどに大いに首肯するところがあるわけですが(もっとも、たまに交信している剛の者もいるとかいないとか。しかしまあ、実際のところ捜査機関としてもそういうので捕まえるわけにはいかないし…)、見えないものが見えるというのが全くないということもないのかもしれません。
というと、「あ~、ついに頭がやられたか」とか思われるかもしれませんが(笑)、そこは科学的にといいますか、単純に目で見えないものはやはりあるわけですからね。
それこそ放射能なんかも目に見えないけど、人体に悪影響及ぼすものなわけで、似たようなものとしては紫外線とか赤外線とかそういうものなんかもあると。
で、これは基本人間には見えないものだろう、となるわけですけれど、ひょっとしたら世界にそういうのが見えるのもいるのかもしれない。イヌイットなんかの人には視力が20とか30とかいうような人もいるという話で、そういう話の延長上に赤外線とか見える人がいるかもしれないと。
それはあくまで存在が感知されている物質についての話ですが、ひょっとすると存在を感知されてないけど見えるものというのもあるのかもしれません。ありうるというだけで、もちろん誰がそうというのはないですし、知り合いにいるというわけでもないですが。
ちなみにこの手のもので多次元世界とかそういうのが出てくることがあるようでして、当初は「多次元だからどうなの?」みたいな気になっていたわけですが、よくよく考えれば、話とかしていて、「それは次元の違う話だ」ということでまるきり関係ないような扱いを受けたりすることがある。で、世界が多次元になれば、今の諸問題が次元の違う話になる。お、そうなれば諸問題が問題にならない世界は平和なのかもしれない。
ということで、世界がというか地球がというか宇宙が進化すれば人間は救われるのかもしれません。すごい他力本願な話でありますが…(笑)
大分しつこい感がありますけれど、原子力発電所の事故に関して、このブログでは例によって「慌てても仕方ないじゃん」という感覚で意見を展開しております。
これはぶっちゃけ本人の感想そのままなのですが、ある程度ここの管理人の性格を知る方なら「また無理筋引こうとしてる」とか「相変わらず多数派批判したがってる」なんて思われてるのかもしれません。もちろんその要素がないとは言いません。根拠のない世論に反対するのは楽しいですからね(笑)
ただまあ、今回原子力に関する行政の感覚について「仕方ないんじゃないの?」っていう気になるのは、何も今に始まったことじゃないじゃんという確たる実績があるというのもあります。
というのも、原子力に関するリスクの甘さなんてのは私は数年前からライトにではありますけど、ず~っと言ってるわけですし、正直、放射能とかの危険性を言い始めたらキリがない。少なくとも日本に運ばれてきた原子力物質がどのように原発に行き、そして原発に行った後、どのような形で処理されるかとか考えると普通は「それ大丈夫なの?」と思うだろうという、一般人なら常識レベルから導き出せるところもあるからと思うからです。
例:実際どこで処分したものか
メディア以外の情報源で原子力発電について知った方なら、原子力の燃料から処分までが福島で一部始終全部終わるわけではないということは即座に理解できるはずですし、そのあたりの物質がどういう意図か分からないけど不必要に長距離を運搬されているらしいというあたりも把握できます。物の本によると、そういうものでも臨界とか起こしうるとか物騒なこととか書いてあります。
もちろん私は物理学とか原子力の専門家とかではないので、このあたり運搬されている処理燃料とかに程度の数値が含まれているのかは知りませんけれど、六ヶ所村にしろ、東洋町にしろ、都心からとてもかけ離れたところに作られた(若しくは作られようとしている)となると、人畜無害な物質のみを運んでいると確信するほどの善人にはなれません。その時のエントリでも書いてますけど、警備員とかも放射能とかの測定しているらしいので、ルート近くのところには多少漏れていても不思議ではありません。
無論、どういうルートで運ばれているのかとか細かいところは知りませんけどね。
閑話休題。
そのあたりの事実は奇麗に無視して、事故だけ大々的に報じるというのも個人的にはどうかと思うんですよね。言ったら悪いですけど、メディアとかの言い分にただ踊らされてるだけって感じですもん。
私は何も起きてない時点から「原子力行政ってどーなのー?」ってライトに批判していたわけで、分散という名の下で長距離輸送とかリスク回避を到底講じているとか思えないあたりが引っかかっていたわけ。ごくごく一部の超お馬鹿さんか、あるいは卑怯者が政治問題に帰そうとしてますけど、大昔からリスク無視してたわけで現在の対応だけ批判するのはお門違いもいいとこです。
何か起きた場合にリスクに対して最大損害的措置をとるのか、比例的措置をとるのかなんてのは私には分かりませんし、現実を目にした場合に比例的措置をとったからといっても、個人的にはそんなに批判したいつもりにはなれません。付近はそれを覚悟して補助金受けたんでしょうし。
これほどの分野になるととにもかくにもそのあたりのリスクを回避することが必要なんじゃないのと思うあたりで、それがずっと無視された事情を思えば、その事実を華麗にスルーして風向きのまま批判しているのも何も分からないけどメディアの言うままにただ批判してるだけと言われても仕方ない部分とかもありそうです。
ちなみにこのあたりの知識(無論最初に触れたように管理人は理科の成績が標準以下なので正確でない可能性はあります。)っていうのは、全部吉祥寺の図書館で仕入れました。昔伊勢丹があったあたりのところですね。つまりまあ、公共の施設で誰もが手に入れられる情報というわけです。
何、政府によって情報が秘匿されてる? 国民がないがしろにされてる?
少なくとも事件後二週間以上経過して言うセリフでは、ないですよね~。ま、最近に関してはひょっとしたら吉祥寺図書館でそのあたりの本が全部借り出されているのかもしれませんけど。ただ、少なくともこの二週間で発禁処分受けた本は私の知る限りないのではかと思いますし。
結局管理人は何が言いたいかって?
こと人災面に関しては自業自得じゃん、ということです。
そういうことを無視していた、知らないふりをしていた、あるいは何も知ろうとしなかった(知る環境にあるのにね)人しかり、ある程度理解しつつ真剣に訴えなかった人間(非常に自惚れた物言いをすれば私もこの中に一応含まれるのかも)しかり。幾つかのヒヤリ、ハットを見過ごして大事故になるといいますが、少なくともヒヤリくらいの事例というのは気を向ければ得られる環境にあるわけですし、そういう国というのはやはり少ないんじゃないかとは思いますね。実際は不明として、詳細を知ることもできない国も多多あるでしょうからね。
だから前から、個人的には放射能で寿命が多少縮んでも仕方ないと諦めておるわけです。過去そのために政治的活動しようなんて気にもならなかったわけですし。それ以外にも寿命縮めることを自分で沢山しているというのも理解しているわけですし。
もちろん、即刻死にそうと分かればできるだけ逃げますけど…
その昔、「世間ではデフレ、デフレというけれど、あまりそんな気もしない」みたいなことを書いたりしました。
最近、色々自粛ムードが広がっているとかいうことで、「そんなことしたら経済が良くならないし、被災者も喜ばない」というような話もあります。
私個人は、あんまり何か自粛しているということはなくて、周囲も節電というのがあるので抑えざるおえないところは抑えてますけれど、積極的に何か自粛しようというようなものもないような気はします。
なので、実際の自粛ムードがどのくらいなのか、正直よく分からない部分もあるのですが、配信記事やら何やらの話を見ていると、どちらかというと「震災を言い訳に金を使いたくないだけではないか」というような気もしてきます。とりあえず景気はあんまり良くないし、こんな状況なので先行きも不安であると。付き合いも面倒だし、それなら震災でも言い訳にしてやめておくかなということで。
要は最初に書いた「デフレとか不景気を積極的に感じない」というのはやはり私がそう思うだけで間違いだったと。そして、私が気付くくらいに、今回の震災を契機に表面化してきたのかなと。
で、もちろん世間の中には馬鹿なのか才覚があるのか、逆に世間が沈んでいるからこそ騒いでいたりするというのもあるわけですが、そういうのに対して言い訳組の中にはやっかみとかが生まれたりしているのでは…ってな感もあります。そうでなければ、他の人のやることまであれこれ言うもんでもないですし。
ま、もちろん、どこかの反捕鯨団体みたいに「自粛することは正しい。他の連中も言いなりにならないと許せない」という人達も少数ながらいるのかもしれませんが。毎日、「今日はどこそこで火事があった」、「アフリカでは△秒に一人子供が餓死している。そんなことを考えると生まれてこの方人生が楽しいと思ったことがない」とかいう人とかももっと少数ながらいるのかもしれませんが。
年賀なんかで喪中の人からは喪中葉書が来ますが、だからといって年賀状出さないなんて人もいないでしょうし、何となく基本倫理というより経済的理由で自粛している人も少なくないのではないかという気がします。
仮にそういう人だとすると、被災地から「あんた達が自粛する必要はないよ」と言われても自粛していそうですし、そういう人が多いのだとすると今後もこの動きが続くのかなと。
あくまで実際の自粛ムードが多ければ、ということですけれど。
東電原発事故の話は依然として良くなりそうな気配がありません。
当初の頃から書いてますように、ぶっちゃけ私には記事を見たりテレビを見たりしていても6%程度しか分からないだろうということで、あまりあれこれ論評していても仕方ないと思っているのですが、それとは別にこういう事態で決定とか責任をどうすべきかというのは今後のことを考えても気になるところです。
もちろん、一般的には責任をとるべきとか重要な決定をすべきなのは、今回で言うと政府の長(つまり首相だ)か当事者のトップ(東電の社長なり会長)ということになります。
ただ、正直、お歴々の首相-あるいは官房長官でもいいのですが-の原子力に対する知識というのは、ぶっちゃけ私と比較してもズバ抜けて分かっているということはないでしょう。なので、「詳しい」などとコメントしたのは問題なのですが、実際のところ政府の面々が対応が分からなかったり、あるいは何も決定をできないところは無理のないところと思われます。
同じことは東電にも多分言えるところでしょう。技術畑から社長とかなる人というのは中々いないでしょうし。
で、そんなこと言うまでもなく、彼らが何か決めているということはないでしょう(もし彼らが考えて決めているのなら、対処の判断が間違っている以前に彼らが決めていること自体が間違いだろう)。これはまあおそらく原子力保安院の面々に関しても同じ。
そこで問題になるのが、じゃあ、今回誰がそのあたり考えているのか、ということになりますかね。
例えば、これが戦争とかになると古来王様とかが指揮官だったわけですが、戦争の技術とかが発展して王様が戦場に出なくなると、例えば杖なり剣なりを総大将となる人に渡して、「おまえに任せた。勝ってこい」とかなります。
恐らくはそういうことになっているのだろうとは思うわけですが、実はこのあたりの権限委譲というか指揮権を取るのが誰なのか、今回の総大将というか実質的な決定権者が誰なのかというのが分かりません。実はこれが結構問題なのではないかなという気がします。仮に今回の件で菅内閣が総辞職して、東電も国有化されたりしたとしても、決定権のところがはっきりしないままなのなら、次回も同じことが起きるということになりますから。
もちろん、実際に決めているのは恐らくは技術担当の誰かだとは思います。でないと、もう少し学者から具体策とか出てくるんじゃないかと思いますし(技術担当なら学界にも顔が効く人だろうから、学界としてもその対応を表だって批判できないし、代替案を言いづらいなんてあるんじゃないかと想像してますので)。ただ、それはあくまで想像であり、6%程度しか分からないことになるんですけどね(苦笑)
なので、ここのところの、そもそも責任者が誰なのか分からないと、それこそ実際に動かしていて(今回はあまり対応がよろしくなかった)のが、政治や会社の犠牲を他所にそのまま存続しうることになるわけでよろしくありません。
ただま、これは日本だけがそうなのかというと何となくそうでもないような気もするわけでして、このあたりがしっかりしているのならば、チェルノブイリにしてもあんな悲劇にならなかっただろうとかそういうことになります。
今回、第三者的なアメリカやフランスの考え方というのは(もちろんパワーバランスなどの利権はありうるが)考慮する価値があったのだろうとは思いますが、逆にアメリカやフランスで同じようなトラブルが起こった場合に彼らがどうなるかというと、実は今回の日本とそんなに変わらなかったりするのではという気がします。
今回原子力でこういう問題になっているわけですが、同じく技術系の強い分野については総じて似たようなことがありうるわけで、そのあたりでの意思決定のルートをきちんと決めておくというのも必要なんじゃないかという気もしますが、仮にIAEAがそういうことを持ち出したとしても従う国は一つもないのかなという気もします。というか一番従いそうなのは日本だし…