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この表(手紙)を3人の人に読ませてください。読ませないと貴方は死にます。
これを書いたのは諸葛孔明という人です。彼の手紙を受け取ったのに3人の人に読ませなかった周瑜と曹真という人は死にました。2人にしか読ませなかった王朗という人は後で孔明に怒られて死んでしまいました。
以下が手紙です。必ず3人の人に読ませてください。
「臣亮言(臣下亮言う)
先帝創業未半而中道崩殂(先帝はIT技術の創業半ばにして亡くなりました)
今天下三分益州疲弊(今天下の情報は三分で伝わるのに、益州の人はみんな古いやり方で広めようとしているのでみんな疲れています)
此誠危急存亡之秋也(これ誠に情報格差広がり危急存亡の時です)
以下、蜀の正当性をアピールしていたり、商品を買うように勧めている」
…なんていう馬鹿なことを孔明の手紙を読んで死んだ人とか、詰られて死んだ人とかの話をしている最中に思いついたので書いておきます。
世にB級ネタ(Bですらない?)が少ないのなら、自分で作るに限るので(笑)
ということで、このエントリを見た人はお持ちのSNSで最低3回はこのエントリのURLへのリンクを貼ってください<コラPR
1.政務に関して無関心
2.自分達に都合のいい奸臣ばかりを重用する
というのは例えば三国志の劉禅なんかに代表されるいわゆる暗君の典型例です。
ただま、よくよく考えると現代の国民主権の民主主義国家というのは総じてこういうのになっているような気がします。そんなこと書いてる自分もご都合主義かつ機会主義なので偉そうなことは全くいえませんが、日本はもちろんのこと進んでいるとされるヨーロッパでもそういう傾向があるような気もします。
よく選挙に行こうとかいうスローガンとか唱えられておりますが、明の時代に万暦帝が10年くらい朝議とかに顔を出さなかったとかいう話があって、群臣から「せめて会議くらい参加してくれ」とかなって出たとかありましたが、投票するというのはとりあえず顔だけ出すくらいのことでしょうから(特に白票でもいいからとかなると)、どうも万暦帝レベルなのかとかいう話になったりするような気が。
と言って、別にそんなことを批判するつもりはないのです。
前述したとおりにこのあたり万国共通のところはあるわけで、ある意味自然の流れなわけだろうと。そこを孔子様のように「何で出来ないんだ」とか言うより老荘思想のような「基本そういうものなのだ」くらいの感覚に立つ方が正しいのは現実を見れば明らかなわけですので。
とか考えると、そもそも何で民主主義がうまくいったのかとかなると、倫理的には非常によろしくない発言になりますが、「制限選挙でやる気のあるのがいる内はうまくいっていた」とかそういうことになるのかもしれません。
ま、それはいいのですが。
で、まあ、そのあたりうまくいかないので色々なものがあったりするわけです。俗に圧力団体とか呼ばれるものとかがあれこれ引っ張ろうとしたり、日本なら地方公共団体レベルで色々やろうと叫んでみるとか。
それをもちろん我々は現代の新しいこととして捉えがちではあるのですけれど、実は圧力団体ってのはある種のギルドみたいなものだとかそういう気もしてきます。また、国際企業の中には必ずしも本体の所在地ではなくてその企業の都合で動くところもあるわけですし、海外の企業とかと連携していたりするとかなって、そのあたり一つ上には従うが、その上が従っている相手とかには適当に従うなんてことになると、このあたり海外の封建主義に似てるところがあるような感覚も受けます。
つまるところ、現代は産業技術とか生活態様は別にして社会構造そのものは中世の修正版みたいな形になりつつあるんじゃないかという気もしてくるわけです。いやま、もっと突っ込むならば社会構造そのものは古代から不変であるというのがあるかもしれませんが、とりあえず動きの流れとして中世の概念で捉えると似ているものがたくさんあるような気がすると。
で、大阪府知事とか名古屋市長が唱えている地域レベルでの共同体というのがありますが、これもよくよく考えてみると弱い中央政府に対して一部都市が独立的な権限を握ろうという形みたいなもので、ハンザ同盟みたいなもの、となるのかもしれません。
うまくいく流れとか要請されるものというのは時代が変われど同じものがあるのでしょうから、賛成する方はそのあたり勉強してみたら面白いのかなという気もしますし、成功するかしないかの一つの参考資料になるようにも思います。
ちなみに中世から近世というと宗教改革とか民族問題もあるわけですが、そのあたりはまたの機会に。といいつつ、それがいつになるのか本人にすら分からないのですけど(爆)
その1を書いたのは3年前ですが…
コレ
私は全く知らなかったのですが、日本には三大合戦というものがあるのだそうです。
日本の三大美人とか、三大夜景とかがアテにならないという話もあるので、誰かのヨタ話から生まれたものなのかもしれないのですが。
で、私は最初そういうのがあると知らされ、「何か分かるか」と聞かれたのです。で、しばし思案して
壇ノ浦、関ヶ原、鳥羽・伏見
かなと思ったのです。近代以降のものだと合戦という表記は使わないだろうというのがあるので(ま、それ言うと鳥羽・伏見も近代だけど)。
で、答えはというと関ヶ原は合っていたのですが、残る2つが川中島の戦いと筑後川の戦いなのだそうで。
筑後川の戦いがある時点で考案者が九州出身のような気がするのですが(笑)、一番「あれ?」っていうのは川中島で、合戦規模にしても日本史への影響にしても特別大きくないような気が…
五回ないしは六回やったらしいという数が評価されてるのかもしれませんが、それなら治承・寿永とか観応の擾乱とかで一まとめにした方が強そうですし。節目という点では応仁の乱も相当なものなのですが、特別代表的な戦いとかなくて、ただダラダラ続けていた感があるからでしょうか。
でも、まあ、南北朝のあたりって本当に地味な扱いですなぁ。
正統論とかそのあたりで色々訳分かんないことになるので教育とかに向かんということなのかもしれませんけれど。
日本の財政赤字とかそういうので格付けが下がったりしているとかいう話があります。
まあ、私は財政とかそういうのには暗いので、何をどうやればいいのかというのはさっぱり分かりませんが、過去の例に倣おうということを考えると、実は方法としては実にシンプルなもので済むのではないかという気もしてきます。
例えば、明治維新では薩摩が勝ったわけですが、その薩摩はというとその前に破産寸前の状態に陥っていたわけで、これを何とかしたのは調所広郷らしいと。
その広郷が何をしたかというと200年で債務返済とかいう超がつくほどの債務整理をして楽になったことで、もちろんそれ以外にも色々やったようですけれど、彼がともかく財政状態を一部踏み倒しみたいな形をとったことでその後の斉彬とか久光が色々できたというのがあると。
明治維新に倣えということであれば、現代日本は現時点では債務一杯で身動き取れない薩摩状態であると。ということは龍馬(個人的にはそんなに評価してないけど)とか西郷どんとか大久保利通とか出てくる前の時点で、まずは調所広郷に出てきてもらわねばならないのではとかいうような気もしてきます。
500年くらいで国債返済で利子も半分、くらいのほぼ踏み倒しに近いことをやれば借金総額がいくらになるのかはそうした計算に弱いので分かりませんが、負担はかなり減ります。それでまあ、その間にプラスを増やしていく方向になると。
日本国債買ってるのは日本人がほとんどらしいので、対外的に信用を失う度合いというのは、まあゼロではないでしょうけれど、同じことは当時の薩摩藩にも言えたわけなので、そこはそれで何とかするしかないなと。
ま、よくよく考えると会社とか個人にしても潰れる以外で債務超過になった場合、「ダメだダメだ」と延々と言い続けるケースというのはそんなにないわけで、どこかで破産するなり債務整理策をとったりしている。
とりあえず日本国を潰すというのはさすがに現実的ではないし、破産もさすがにアレとなると一般に言うところの債務整理をしなければならないんじゃないのかなという気はします。
首が回らない状態であれこれやってもどツボにはまっていくだけでしょうしね。
ま、債権者の大半が国民という状況ではそんなことをやろうとする人が要職につけるはずもない、という根本的な問題がありそうですけれど。
来年度の予算案について、日経新聞に「将来の子供達が可哀相」とかいうような寸評が掲載されておりました。
まあ、このあたり将来へのツケという側面はあるのかもしれませんが、しかし一方で「将来へのツケを考えなかった時代などあるのか?」というような逆ツッコミもできるんじゃないかという気もします。ま、別にそれで今の政権を擁護するつもりは全くないんですけどね。
まあ、それはさておきまして、タイトルにあるとおり未来のために我々は何が残せるか、というのを考えてみましょう。
もちろん、豊かな社会を残せばいいのかもしれませんが、一寸先は闇ですのでそのあたりは大なり小なり心もとない部分もあります。となると、最悪のために備えて未来のために我々が何をしてきて、どう失敗してきたかという記録を残す必要があります。
しかし!
しかしですよ、実はこの記録の保存というのが非常に心もとないのではないかという気がします。
というのも、今や電算記録とかで残すのがある意味定番となっているわけで、これなら小さいもので沢山の情報が残せるぜ~ということになっているわけですが、本当にそうなのか。
例えばエネルギー資源がどうこうという話がありますが、エネルギー資源がなくなればどうなるのか。あるいは電算記録を読むための装置(パソコンなど)が将来的に作れなくなったらどうなるのか、ということもあります。天文学的・地質学的な変化などで磁気装置、光学装置が使えなくなる可能性もゼロとはいえません。
多少オカルティックな話をすれば、今我々が普通に蹴っている石などは太古の偉大な文明の情報保存装置だったけれども、我々にはそれを開く術はないというような可能性などもあります。そのため人類は石器時代からやり直さなければならなかったのかもしれません。
直接目に見えないものに情報を保存するというのは、未来に対する想像力があまりに貧困すぎる話といえます。その貧困な想像力たるや現代社会はサイコパスばかりと言っても過言ではないかもしれません。
紙も随分心もとなくて火や水があるとダメなのではないかという話があるわけですが、それでも見れば読める分だけまだ救いはあります。
しかし、それ以上に残るものといえばやはり石版とか粘土板でしょう。オリエントの古代から残っている碑文とか、風雪に耐えてきたマヤ文明の石碑(とはいえ、さすがに時間が経ちすぎて読めなくなってるところもあるらしいが)などを見れば明らかです。石碑や粘土板なら爆弾などを落とされて砕けたりする可能性がありますが、紙やDVDなどは焼失してしまうでしょうが、石や粘土ならつなぎ合わせられる可能性もありますし、破片でもある程度読めるという可能性もあります。
そこでこう提案したいわけです。
皇居とか伊勢神宮とか靖国神社とか、まあ場所はどこでもいいのですし複数の箇所でもいいのですけれど、そこにでっかい石版なり粘土板を用意して、毎年一定の量だけ事跡を記載していくのはどうかと。それも多すぎると収拾がつかないので、ある程度絞った内容の事績を残すと。
んでまあ、そこに記載する内容を選挙というか多数決で決めればいいと。そのくらいならすんなり決められるでしょうし、民主主義が一番有意義に使えそうなところで使うのがいいんじゃないかと。
そういうのを沢山残しておけば、それこそ核戦争が起こって滅亡したとしても、将来的に「ここに何があったか」というのが分かるということになります。道具の使い方とか書いておけば、2000年後に感謝されるかもしれません。石や粘土が2000年残るのかは定かではありませんが。
真に未来を考えるなら、例えばこのくらいのことを提案できるくらいでなければ意味がありません。
…なんてね(笑)