Americanfootball
Chicago Bears
Jacksonville Jaguars
Football
Leeds United
FC Dynamo Kiyv
IFK Goteborg
VfB Stuttgart
Shonan Belmare
etc...
Baseball
Tokyo Yakult Swallows
2011年は勝てるのだろうか…?
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
民主党の小沢一郎代表は、とりあえずそのまま代表を続けるようです。大山鳴動してネズミ一匹とかそういう感じだったとまあそういうことなのでしょうか。
で、世間ではあれやこれやと言われていますが、実は「戻りそう」という話を聞いたあたりから、私はある歴史の人物のことが頭に浮かんで離れなかったのです。
二流のビジネス本の常套手段という感じなのでありますが、現代の政治状況に対する理解と歴史理解が三流の管理人なら敢えて二流手段にチャレンジしてみてもいいでしょう(笑)
思い浮かんだ人物というのは上杉謙信で、で、民主党は当時の越後。
となると、絶賛しているように聞こえるかもしれませんが別にそんなことはありません。
長尾為景から晴景を経て家督を継いだ上杉謙信こと長尾景虎なわけですが、何せ越後は広いうえに国人や土着勢力も多く、一向一揆などに対する姿勢もまちまちだということで景虎の言うことを聞かない。で、景虎もそのあたりを完全に支配するカリスマ性もなく、確固たる統治指針もない。
そんな国人とのやりあいが続いていた中、景虎は「もうやめた」ということで雲隠れしてしまったわけですが、いざいなくなると国人とかは「お~、景虎がいないと越後が本当にバラバラになっちまう。他に誰もいないから景虎がいるのも鬱陶しいが、いなくなるともっと鬱陶しい」みたいな理由で結局呼び戻して国主に戻ってもらったと。当然呼び戻す以上は今まで反対していたある程度の部分で妥協せざるをえんということで。まあ、北条氏とか新発田氏あたりはそれでもしばしば反対していましたが。
民主党もまあそんな感じなのかなという気がするわけで。
まあ、当時の景虎がそんなことを狙っていたのか、あるいは本当に隠居するつもりだったのかは分かりませんけどね。
ついでに小沢一郎が本当に嫌になってしまったのか、景虎みたいな効果を狙っていたのかも分かりません。ただま、とりあえず景虎と同じ形では落ち着いたわけで。いいか悪いかは別ですけど、景虎の例を見ていると民主党と小沢が終ったとかそういうものではないのかもしれません。
ただ、そうなると、越後国=民主党の運命もまた長尾氏と同じような形に落ち着くのかも(笑)
景虎しかいないやということになっても結局確固たる指針とカリスマ性が無いという部分は変わらないので越後は一枚岩にはならず、謙信はどうにか関東管領職という御旗を掲げて後北条討伐という名目で家臣をまとめて機会があれば関東に出向いてしばらくすれば帰るという感じ。
で、これを民主党と照らし合わせれば現代の史家が向けている「謙信は北条なんかにこだわらずとっとと上洛を目指すべきだった」とか「謙信には上洛の意図もあった」なんていうのは謙信自身がそう自覚していたとしても無理だったのだろうということに落ち着きます。民主党が政権獲得に向けて最短ルートの選択をとっているようには到底思えませんからね(笑)
で、後継者問題も苦労した感じです。ポスト小沢がどうなるのかというのも共通しそうですね。
謙信が独身だったことについては女性を近づけないことで戦勝を願掛けしていたという説が有力ですが、それ+どこかから正室とか迎えたりするとそれはそれで越後内の家臣団のバランスが崩れてしまうため、結婚するにできなかったのではという気もしないではないです。状況とか立場的にはエリザベス1世と共通する部分があるんじゃないかと。
後継者候補として景虎(無論謙信とは別人。北条氏康の子供?)と景勝(長尾政景の息子。政景は野尻湖で変死)がいるあたりからしてまあ妥協に妥協を重ねていたという感じ。
結局先延ばしでは根本的な解決にはならず、謙信が急死してしまったことなども相まって、景虎と景勝の間で御館の乱を引き起こしてどうにかこうにか上杉景勝が勝って、ただ新発田とかそのあたりはやっぱり反抗したりする中、結局長いものに巻かれるしかなかったと。
民主党はどうなりますかねぇ。
そういえば、国主の失踪というと中国・梁の武帝は仏に帰依するからという理由で政務を放り出して寺に入ったりしてましたっけ。呼び戻すのに寺に大金支払って国庫が傾いたとかいう話がありますが…
公明党に政権を取らせるとそんなことに税金が使われるかもしれないので怖いですね…もちろん8割は冗談ですけれど(笑)