選択したカテゴリの記事一覧
- 2025.12.07 [PR]
- 2010.08.13 お布施定額制
- 2010.08.06 人事を考える
- 2010.08.04 議員削減は生ぬるい!
- 2010.08.01 子供を拒む社会?
- 2010.07.22 懲戒摘発強化年間?
×[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
遠い昔から寺や教会や神社は信徒たちに対して「寸志を励むように」とある時は懇願し、ある時は地獄行きと引き換えにしたりとかやっておりました。
ま、教会のように免罪符とか出して売り出したりしていたところもあって、そこからマルティン・ルターらが宗教改革を起こしたなんていう話もありますけれどね(このあたりは諸説あるらしいけど)。
近年では投資運用で利益を出しているという話もあり(神社なんかはつぶれると国のメンツ的に困るので、不人気神社にはそういう利益を充てているとかいう話も…)、まさに地獄の沙汰も金次第という話です。
さて、宗教改革のきっかけとなった(とされる)免罪符を売り出したのは教会でした。免罪符が幾らで売られていたのかとか価格が固定されていたのかは分かりませんが、売られていたということはある一定の額の範囲だったろうことはうかがえます。つまり、「これだけのお金を払えばOK。あんたは天国に行ける」という宗教定額制は免罪符については専ら宗教側から行われたものだろうと思いますが、最近はイオンが「仏教の布施も面倒だから定額にしちゃえ」とやりはじめたということで、一般ピーポーの側が宗教に幅付けを始めました。
まあ、これもあるいは信教の自由の侵害になるっちゃあなるのかもしれませんが、イオンに対して「払えない」とか、あるいは進んで沢山出す分には問題なさそうなので憲法問題とまでは行かないでしょうか。
というのは大雑把な話ですが、一応まだ続きがあります。
というのも、過去、一向宗などを見ても分かるように、宗教界は敵対者に対して「地獄に落ちろ」とか宗教的なプレッシャーをかけたり、あるいは信徒を動員して一揆なりを起こしておりました。
ということは、今回も「宗教行為を規制するな」とかいうような着飾った言葉を持ち出すのではなくて、宗教的なプレッシャーをかけてみてもいいのではないかとも思うわけですね。
つまり…
「お布施の額を決めるようなイオンに従う不届き者は地獄に落ちる。お布施を自ら進んで行うものは極楽に行ける」くらい言ったらいいのに、とも思ったり。
…やはりダメなんでしょうか(笑)PR
大卒者の採用率が去年に比べて相当下がったとかいう話がありました。その結果ということか、就職もそれ以上の進学もしないとかいう進路未定者が2割くらいに上るのだとか。
で、Twitterなんかではそれなりに名前の知れた人達が「そんなのを話題にするのもおかしい。そもそも一斉に就職活動をするという日本の制度自体がおかしいのだ」とかいう話もあって、「経営上の合理性を欠く就職活動に巻き込まれないで済むのことはかえって幸いだ」とかいうような話も。
ちなみにそこに賛同している有名な人が経営していた会社は人事の失敗からつまずいたとかいう話もあるので、そこはちょっと微妙なのですが…(苦笑)
閑話休題。
かなり昔の話ですが、私個人も就職もしない、進学もしないという進路未定者であったことがありました。
が、私の場合は型にはまるのが嫌だったとかいうよりも、ちょっとした運命の綾みたいなのがあったりして破滅的にさぼっていた+見通しが甘かっただけなのであまり威張れるようなことではありません。
時代が多少たがえたとはいえおそらく大半はこういうやる気なしなんじゃないかという気はしております。
ま、就職活動が合理性を欠くというのは同感ですし、そこで入る有象無象の人達が何となく歯ごたえに欠ける人達が多いというのもあるかもしれません。だからといってそこに行くのが全部ダメとかそういうこともなくて、そこで得た知識などを元に修正していく人もいます。
もちろん、環境が左右する部分というのはあるわけですが、逆に就職活動自由主義がスタンダードになって、一斉活動という指針がないと埋もれてしまう人材もいるわけなのでどちらがいいとかそういうのは単純には言えないところ。
一応企業側の方に話を向けるのなら、人事部とか総務部がある会社ならば一年中あらゆる手段で探せってことになるんじゃないですかね。合理性不合理性にこだわるというのもまた馬鹿な話というのもあるわけで、例えば周の武王が太公望を見出した逸話は合理性の欠片もありません。
就職者の側に立つならば、確かに環境に適応できずに能力相応の評価を受けない人もいるのでしょうけれど、といってそれを誰かのせいにするのも発展性のない話です。
社会や誰かのせいにしてグチをこぼす時間があるなら遊んだりスポーツでも観ていたりする方がまだいいような気もします。そうやって前向きにやってればそのうちいいことがあるんじゃないですかね。
ま、最近中国の人達と会う機会が多い個人的な経験からいくと、就職とかにこだわるのではなくて、会社が作れるとなるとすぐ作っちゃうメンタリティなんかも見習うべきなのかもしれませんけれど…
議員削減に関する話などが最近色々と出ているようです。曰く議員が多すぎるのではないかと。
議員が多すぎるのかという点については何ともいえませんが、少ないということはなさそうですので、それなりに意図は理解できるもの思われます。
ただ、私としては思うわけです。
党派の争いも結構大きいようだし、政党を移る議員も多いので信用できない。
それに投票価値の不平等も結構馬鹿にならない。
以上からすると、考えうる結論は一つしかありません。
衆参両議院とも、議員を1名にする、と。
1人であれば政党関係なく、その人だけを選べる。政党のつまらない争いは世界から消え去る。
1人であれば投票価値はあくまで1人1票で地域ごとの差など生じようはずもない。
1人であれば議員歳費の無駄遣いも省かれる。
議員が1人である以上、当然大臣兼任が前提となるわけですが大臣を兼任する以上、省庁ごとの対立を超えた大局的な視野が図れる。
というのは当然ながら例によっての冗談ではありますが、当選議員が1人になった場合に誰が当選するのかというのは非常に興味深いところではあります(笑)
大阪で2人の幼児が母親に見捨てられて衰弱死したらしいという何とも痛ましい話がありました。
で、こうした虐待などの話があると頻繁に「育てられないなら産むな」というような言葉が出てくるわけですが、これにはちょっと違和感を感じる部分もあります。
もちろん産んですぐ捨てる親については「育てる気すらないなら」というのもありうる話ではあるのですが、何年か経ってからの虐待とかになると、話そのものは大変痛ましいのですが、といって「そこまで先のことを予測することができるのか?」というような気にもなりますので。
虐待とか育児放棄というのの原因は多岐に渡るのでしょうし、そういう要因を全て把握して判断できるかというとそれはちょっと難しいんじゃないのという気がするわけで。
昔は旱魃で凶作になると口減らしに遭ったとかいう話がありますが、当時「災害一つで子供を捨てるくらいなら産むな」とかいうようなことは多分言われなかったでしょうしね。
生物学的には子供が危険に遭う因子が多い場合にはその分産卵数や一回の出生数が増えるという傾向があるみたいですが、その理屈からいくとむしろ「育てにくい環境なら沢山産むべし」という方が生物学に遭っているという可能性すらありますしね。人道的には微妙というのはアフリカの例などを見れば分かりますけれども…
ま、ただ、こういう「育てられないなら~」的な話が罷り通る状況を裏付ける話もあるといえばありますかね。
大半の企業では育児休暇も満足に取れないみたいですし、企業向けには融資なり補助金政策を色々やるわけですが、子供のための補助金については「財源がない」ということで否定的になる。
企業も即戦力重視で新卒の人が苦しんでいるという話もあるわけですけれど、即戦力重視の観点からすると15~8年かかる子供なんかに回す余裕はない、とそういうことになるんですかね。
結局子供を育てるというのは、今や高級娯楽となりつつある、ということなのかも。
そういう社会の行き着く先はあまり明るくはなさそうですけれどね。
警察署などには「●×対策強化月間」とかそういうのがあったりしまして、そういう時にはノルマとかも課せられているとかいう話があります。
基本的には外に向いているのだろうと思いますが、案外中にも向いていたりするのかもしれません。
上半期の警察の懲戒処分者2倍に セクハラやわいせつが増加 警察庁(産経新聞)
ま、もちろん、警察官も段々荒んできているのかもしれませんが、いきなり倍増というのはさすがにないだろうというのはありますからね。相撲取りとかを厳しく指導している以上は、中もやっておけというところがあるのかもしれません。
しかし、処分も色々な段階があるはずなので例えば懲戒解雇とかの事例が何件あるのかは分かりませんが、警察官を懲戒解雇とかされた人間の行き着く先ってのはどこになるんですかねぇ。
さすがに懲戒解雇されたのだと余程チェックが甘い企業とかでないとまず再就職自体難しそうですし、警察関連の別のところ(警備関係とか?)とかに入れない場合は、過去の知識を生かすとかなると何だか暴力団とかそういうところになりそうな気もしたりするのが…